パッサウは1ヶ月コースなのでアッと言う間に過ぎた感じである。コースが 終わりに近づいた時、急遽、卒業文集を作ることになった。クラス一番のお喋りで張り切りボーイのEnea君が編集長に指名された。僅か10ページ程の文集だった。お別れパーティで小生が撮った写真が表紙を飾ることになった。なお、彼の編集後記を読むと文集ではなく新聞(Zeitung)と言う認識だったようだ。
GⅡと言うのは「基礎コースⅡ」の略号である。表紙のGの文字の上に見えるワインで赤くなった顔の男が小生である。小生にも何か書けとのことだったが、ドイツ語で長い文章を書くのは大変なので、 手抜きと言うか横着をして「詩」ではなく「詩もどき」でお茶を濁すことにした。(文集のP9に掲載)
文集はなんとか最終日に配布された。 Enea編集長の悪戦苦闘の成果だったが、アチコチページが乱れているところはご愛敬である。20数名の生徒についての短評は多分N先生が書いたのだと思う。その他の執筆者はパッサウの街の印象やパッサウのレストランに触れている。
小生の怪しげな「詩もどき」は女性陣から好評を頂いた。お陰で、最後の授業は「詩」がテーマになった。雲行きが怪しいなと思った途端、先生から日本の詩を「朗読」して欲しいと要望された。 小生の暗誦出来る詩は、晶子の「君死に給う—-」と藤村の「小諸なる—」か「初恋」位なので、「初恋」を暗誦した。
ところが、N先生からドイツ語に訳してくれとの追い打ちがあった。多分そうなると思いながら暗誦してい たのだが、即興で独訳するのは小生には荷が重い。幸い同じクラスに日本から来たドイツ語専攻の女子大生がいたので彼女に代役をお願いした。突然指名されて彼女も四苦八苦していたが、2番の訳に入った辺りで、最後の授業は時間切れとなった。
プリーンの2ヶ月とパッサウの1ヶ月、合計3ヶ月のドイツ語研修は終了した。会話のレベルはあまり上がっていないので、工場の調査が出来るのか自信は無かった。とは言え、3ヶ月の語学研修でドイツの生活・習慣に慣れ、日常生活を送れるようになった。
語学研修の成果を自己評価すると「優」は付け難く、「可」と言うところか。