授業料値上げ

最近、東京大学が学部生の授業料を年53万5800円から約11万円引き上げ、2025年度入学生から同64万2960円にすることを決めた、と言うニュースがありました。既に値上げした大学もあり、東京大学に呼応して値上げを検討する大学もあると聞きました。大昔、高度成長の前で日本全体が未だ貧しかった時代に大学生活を過ごした隠居は、授業料が50万とか60万とか聞いて「ウワッ!高い!」と驚きました。隠居が大学に入学した1959年、国立大学の授業料は9,000円/年でした。(下図参照)

大学授業料の推移(サイト「年次統計」より)(クリックで拡大)

1959年当時、国立大学と私立大学の授業料差は3~4倍あったので、小生は、私立に行くことは全く考えていませんでした。なお、当時の都立高校の授業料は600円/月(7,200円/年)だったようで、これに比べると国立大学の9,000円/年は安かったと思います。隠居の高校は国立だったので、授業料は更に安く100~150円/月(1,200~1,800円/年)くらいだったと記憶しています。小生の進学プランは、家から通学出来る首都圏の国立大学が目標で、授業料はアルバイトで稼ぐ予定でした。

当時、高度成長の前だったので、アルバイトの日給は300~350円/日でした。授業料9,000円/年をバイトで稼ぐには、30日働く必要がありました。入学した年の7月頃から登校せずにバイトに専念、後期は休学してバイトを続けました。4年分の授業料が貯まったかどうか記憶が定かではありませんが、復学した後も4年間、春休み、夏休み、冬休み、にはアルバイトに精を出していました。大学の授業はあまり思い出しませんが、アルバイトとそこでお会いした人達は懐かしく思い出します。

我がアルバイトの記憶(クリックで拡大)

現在の国立大学の授業料が60万円/年、バイト代が15万/月とすると、授業料を稼ぐには4ヶ月働く必要があります。30日で間に合った隠居の時代と比べると大変な負担増のように思います。昔と違って今は給付型奨学金の制度が充実しているのかもしれませんが …………。高校の夏休み、岩切晴二の「解析精義」や「三角法精義」に夢中になったことと比べて、アルバイトに忙しかった大学時代はあまり勉強した記憶がありません。学業の面で言えば、アルバイトはあまりしない方が良いと思っています。

上図に、S区役所での保険料計算がありますが、当時の地方自治体の計算事務は、ソロバンと手回しのタイガー計算機が主でした。ところが新年度から国民健康保険制度が発足するため、区役所は奮発して、手回しではなく電動式の計算機を用意、それを使って我々アルバイトが計算業務を担当したのです。事前の見積もりでは、アルバイト一人当たり一日5百件として、4人で30日あれば6万件処理可能と見込んでいたようです。統計を見ると、当時のS区の所帯数は8万だったので、小生としては、国保対象所帯数は6万所帯以内だったと推定します。

電動計算機による処理実績ですが、4人の中では一番若い小生が約700件/日でトップでした。アルバイト中のある一日、S公会堂を借り切って職員慰労会が開催され、我々アルバイト生も招待された記憶があります。M重工の図面トレースでは、古手の係長が「君、製図はうまくないな!アルバイト中に俺が鍛えてやる。」とのことで、直々に鉛筆の選び方から、削り方、芯の形状の整え方まで教えられ鍛えられました。お陰で、クラス中で一番綺麗な図面が画けるようになりました。

アルバイトに関連して二つの流行歌を思い出します。初めてのアルバイト「塗料調合」は揮発性の溶剤を扱う作業なので、工場入口付近の半屋外が作業場でした。作業していると近所(多分ラジオ)からペギー葉山の「南国土佐を後にして」が四六時中聞こえてきました。また、港湾関係会社のスケッチ製図では、毎日、会社近くのマリンタワーの食堂で昼食をとりました。夏なのに、いつ行っても吉永小百合の「寒い朝」がBGMとして流れていたのを覚えています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


Optionally add an image (JPEG only)