ドイツ語研修が終わり、9月6日からアンベルク工場の調査開始である。9月5日(日)、駐在員T氏が自慢?のアウディでアンベルクまで送ってくれた。 小生の他に日本から出張で来ていたK氏が同乗した。T氏が途中アウトバーンの路線乗り換えを間違え、E56号線(下の地図表示では3号線)をレーゲンスブルク近くまで走ってしまいアンベルク到着が大幅に遅れた。長期出張でアンベルクに滞在していたY氏がレストランを予約して待っていてくれたのだが、会食キャンセルで迷惑を掛けてしまった。

アンベルク駅前のカフェでY氏に紹介された。Y氏の当日の服装はグリーンの上着と同色のパンタロンだった。ドブネズミルックに慣れた小生はビックリ仰天した。Y氏は1年位前からアンベルク工場の設計部門で働いているので、海外生活が長いとこうなるのかと思った。 小生のアンベルク滞在は2ヶ月だったが、その間、Y氏にはアンベルクのナイトスポットや下宿を紹介して貰った。
アンベルクは人口4~5万の地方都市で、城壁に囲まれた昔の街区(旧市街)と城壁の外側に広がった新しい街区からなる典型的なユーラシア大陸の都市だった。とは言え、昔の城壁が残っている街はあまりないので貴重な遺産である。小生の宿、ホテル・フライシュマンは新しい街区だったが、比較的旧市街に近く便利な場所だった。小さなホテルなので民宿のような雰囲気で居心地は良かった。

◆下宿
アンベルク滞在は2ヶ月なのでホテル暮らしでも良かったのだが、Y氏が熱心に薦めるので、Y氏の職場の秘書嬢が紹介してくれた下宿に移った。工場から2kmくらい離れたキュンメルスブルックと言う農村地帯だった。近所にレストランが2軒あったが、日曜日は教会帰りの盛装した人で溢れるため、遅れると席が取れなかった。下宿の御主人は若い勤め人で学齢前の男の子と美人の奥さんの3人家族だった。なお、最近のGoogleマップでは日本語表示がキュンマースブルックとなっているが、本サイトでは自分流のキュンメルスブルックを使う。
バス停はハーゼルミュールと呼ばれていたが、その付近一帯の地名と思われる。日本流に言えばキュンメルスブルック群ハーゼルミュール村という感じである。当時は新しい環境に慣れるのに忙しく地域については調べる余裕が無かった。下宿の外装は未完成で煉瓦のブロック剥き出しだったが、 小生の滞在中に外装工事が始まった。工事中窓は透明シートで覆われて開閉出来なくなった。寝に帰るだけの下宿だったが、暫くは不自由を強いられた。
ある日曜日、下宿の一家全員で出掛け、小生は部屋で報告書を作成していた。気が付いたら昼だったので、混まない内にと慌てて軽装で近所のレストランへ行った。勘定を払う時、ポケットに小銭入れしかないことに気が付いた。下宿の玄関は自動施錠なので鍵がないと入れない。 窓から覗くと机の上の資料の横に財布とキーホルダーがあった。出来ることなら窓ガラスを割って侵入したいと思った。
家の周りで小一時間待った。ドイツの秋は寒いので軽装の身体が冷え昼食のビールも手伝って、自然の要求が強まり、とうとう裏庭の一角で“立ち××”をしてしまった。その後も かなり待ったが一家は戻りそうもない。報告書の作成は諦めた。昼食代を払ったので小銭入れには幾らも残っておらずタクシーには乗れない。バスは休日ダイヤで絶望的な本数である。意を決して街まで歩いた。旧市街に住むN君を訪ねて金を借り、夜まで映画館で時間を潰した。
◆通勤
ドイツは朝が早い。工場の現場は午前7時始業の午後3時終業であった。事務所はそれより30分遅い7時半始業の3時半終業であった。下宿の傍を毎朝6時半に工場のバスが通るので、通勤はこれを利用した。乗客の大半はマイカー通勤出来ない年配の小母さん達で、現場の就業時間に合わせて運行されていた。
現場に合わせているので、事務所の始業時間より45分も早く到着してしまうのが難点だった。とは言え他に選択肢は無いので工場の会計課で定期券を購入した。ところが、この定期券がハガキを一回り大きくした程の大きさで、携帯性が頗る悪い。ただ、最初に1~2回提示しただけで、その後は顔パスで乗れるようになった。
バスは現場の就業時間に合わせて運行されているので、帰りは利用出来ない。下宿より街の方が近いので、帰りは街まで歩いて、レストランで夕食を済ませて帰宅した。毎晩、駅前からタクシーに乗ってビールで顔を赤くした東洋人が 「ハーゼルミュール」 と言うので、そのうち小生が乗り込むと黙っていても下宿に向かって走るようになった。
◆工場の食堂
工場へ初めて行った日、アテンド役のK氏が突然「食堂へ行きましょう」と言い出したのでビックリした。K氏の話では、ドイツでは始業時間が早いので、家では軽食かコーヒーだけで、午前中の「朝食休憩」でメインの朝食を取るとのことだった。早速、K氏について食堂に行き、食堂の利用の仕方について教わったが、聞き取れなかったことも多かったと思う。
K氏が案内してくれた席は何時も空いていたので、小生は何時もそこに座っていた。ある日、このテーブルにX氏が加わった。他に空席があるのに四人席に5人座るのは不自然だが、理由が分からなかった。隣の人が気を利かして「小生が座っている席はX氏の席だ」と教えてくれた。小生はこの時初めて食堂の席が指定席であることを知った。工場最初の日、K氏が説明してくれていたのかもしれないが、小生は聞き取れなかったようだ。
但し、タイムシェアリングの指定席である。食堂が狭いので全従業員同時ではなく、職場ブロック毎に食事時間をシフトしていた。1ブロック当たり15分~20分としても、工場全体では2時間位掛かる。従って、食堂は朝食のため午前8時~10時の2時間、昼食ため12時~14時の 2時間開かれていて、各ブロックの人たちが入れ替わり立ち替わり利用する。ドイツ人らしい運用である。
ある時、午前中の調査対象が「最も遅い朝食」の職場で、午後の調査対象が「最も早い昼食」の職場だったため、朝食後2時間位で昼食と言う 事態になった。多分コーヒーとケーキ位を付き合ったかと思う。この現象は職場が変わらない限り起こらないので、殆どの工場の人間は未体験と思われる。逆のケースもあり得るが小生は体験していない。
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