バートノイシュタット

エルランゲンのオフィスで周りのドイツ人社員に「バートノイシュタットへはどう行くのか?」と聞くと、首を傾げて要領を得ない。 その時は相手が知らないようなのでビックリした。今考えると小生の発音が悪くて聞き取れなかったとも考えられる。車社会なので、列車での路線が分からなかったのかもしれない。あっちこっちに同名の街があるせいかもしれない。

ドイツ人社員に聞けば直ぐ分かると思っていたのに当てが外れた。やむを得ず電話帳のように厚い全国版の時刻表を引っ張り出してきて探した。漸く、エルランゲンからの経路が分かった。時刻表の地図に表記された駅名の大きさから察すると小さい駅である。事務所の秘書嬢から「バス付きの部屋は確保出来なかった。」と聞いていたので、一寸気が重かった。

エルランゲンーノイシュタットの経路
エルランゲンーノイシュタットの経路

世界遺産や交響楽団で有名なバンベルクを通過して、シュバインフルトで列車を乗り換えたが、待ち合わせ時間が2時間近くあった。しかし、駅の周りに何もないので2時間潰すのに苦労した。ホームをブラブラしていてコイン式の体重計を見付けた。コインを入れると、乗車券そっくりの紙片が出てきた。

シュバインフルト駅
シュバインフルト駅

紙片に印刷された体重は普段より10Kg以上も重いので、「故障している。」と思った。この時点では「肥満が進行している。」ことに全然気が付いていなかった。その後、 別のところで体重を量る機会があって、漸く事実を悟った。当時、既にベルトや背広がキツイと感じていたので、もっと早く気が付くべきだった。

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バートノイシュタット市街図

バートノイシュタットの駅を出ると目の前にシーメンスの工場があった。駅の真ん前だが、到着した日は日曜日だったので、工場の前を素通りして、タクシーで宿に向かった。宿は保養客相手の安宿だった。バス付きの部屋が無く、シャワー付きの部屋が一泊1500円でトイレは共同だった。上の地図で分かるように街の中心から離れているので日用品の買い物が一寸不便だった。

シーメンス社小形回転機工場の正門
シーメンス社小形回転機工場の正門

Webに下の写真のような街全体を見渡すライブ映像が載っていた。ホテルはこの森と草原の間にあった。朝は時間がないのでタクシー出勤、帰りはタップリ時間があるので歩いた。道は途中から写真のような草原の中の遊歩道になった。滞在中は好天続きだったので、毎日ノンビリと景色を楽しみながら歩いた。街へ出るのが億劫で夕食はホテルで取った。

バートノイシュタット遠景(Webサイトからライブ画像を転載)
バートノイシュタット遠景(Webサイトからライブ画像を転載)

昼食は工場の食堂で接待を受けたが、一度だけ手違いで手配漏れに遭遇した。午前と午後の調査対象部門が異なったため、昼食の接待をどちらが担当するか連絡が漏れたようだ。ドイツ人には珍しいミスである。偶には一人で食事をしようと思い工場の食堂を覗いたら、コーヒーやケーキ以外は食券が必要だった。あちこち電話をするのは面倒なので、正門前の駅のレストランに行った。

田舎の駅のレストランである。何を注文したか覚えていないが、その時目撃したことは今でもハッキリ覚えている。隣のテーブルの男の子がお菓子の容器を傾けたままフタを開けたので、中身の砂糖菓子(カラーボール)が床に散らばった。 どうなることかと見ていると、父親が散らばったカラーボールを拾って容器に戻し、半べそ状態の男の子に渡したのでビックリした。

日本人は土足の床に転がったカラーボールを食べる気にならないし、ましてや子供には食べさせないと思うが、ドイツ人は平気なようだった。最近、病気に関するユニークな本で「あまり清潔な環境で子供を育てると免疫力が欠如する。」と言う記述に遭遇した。

バートノイシュタットの旧市街は城壁に囲まれた街区である。小生は宿と工場を往復するだけだったので旧市街に縁が無かった。一夕、工場に派遣されている研修生数人を会食に招待した。 と言っても、街のことは分からないので、会場の設営は彼等に任せた。会食前に、旧市街の観光スポットを案内された記憶があるのだが、何処へ行って何を見たのか全く思い出せない。

この時の調査報告について、日本から追加の調査を依頼された。依頼の伝言はベルリンのホテルをチェックアウトする時に受け取った。丁度、夏期休暇で北欧に出発する直前だったので、ドイツ流に休暇は変更せず、休暇明けの日程を遣り繰りして追加調査をした。しかし、何故か二度目のバートノイシュタットについて記憶が曖昧である。宿も思い出せない。