ブレーメン

来年は後期高齢者になる小生、昔の記憶が一層失われて、ブレーメンの項を書こうと思ったら、泊まったホテルの名前も工場の位置や佇まいも思い出せません。工場の位置を調べるためネットの地図を調べたら現地のマップにはそれらしい場所があったのですが、最新のグーグルマップでは全く別の事業者に変わっています。下の地図では、一応そこを「旧シーメンス社工場」と表記しましたが確信はありません。

ブレーメン市街図

日曜日に出発し、ブレーメンのホテルで急ぎの報告書を仕上げるつもりでした。ニュルンベルク~ブレーメン間は利用客が少ないのか直行便が無く、フランクフルトで乗り継ぎがあります。ところが、その日はテロ情報があったのか、ニュルンベルクの空港で一旦積み込んだ手荷物を全て機体の外に降ろして、乗客が乗り込む直前に自分の荷物を指示させる安全対策が実施され、出発が遅れました。

そのせいか、我が旅行鞄の乗り継ぎ機への搭載が間に合わず、ブレーメンで手荷物が出てきません。コンベアーの上の荷物が無くなるまで待っていたのは小生と中年の夫婦でした。係員に文句を言うとアチコチ電話した上で「フランクフルトで次の便に乗せるので、ホテルに届けます。」とのこと。報告書作成の資料類は旅行鞄の中なので急ぎの報告書を仕上げることが出来ません。

ホテルで2~3時間待ったのですが届かないので、空港に督促の電話を入れたところ漸く届きました。日本ならお詫びの印に羊羹の一本も添えられてくるところですが、ドイツでは極めてビジネスライクで、空港のタクシーの運転手が荷物を届けに来ました。航空会社の関係者なら一言文句を言うところですが、運転手では「アリガト」と言わざるを得ません。色々忘却の彼方に消えてゆく中で、この手荷物トラブルは忘れられません。

とここまで書いてきて、思い出したことがあります。今は分かりませんが、当時、ブレーメンには日本食レストランが無かったので、1~1.5時間掛けて列車でハンブルクに行ったのです。お目当てはハンブルクの日本食レストランでした。滞在中はシーメンス社側の接待もあったりして、急ぎの報告書に手がつかず、1~2週間遅れで日本へ送ったと思われます。インターネットの督促メールなど無い優雅な時代でした。

ミニアルバム(クリックで拡大・移動)

【補足】
古い地図を見付けたのでシーメンス社のブレーメン工場の位置が確認出来ました。Siemens AG の周辺の道路名から冒頭の地図に示した「旧シーメンス社工場」に一致しました。残念ながら工場内の様子やお目に掛かった人は思い出せません。

ネット上で見付けた再開発前のブレーメンの地図