給湯器の更新

今年に入って浴室リモコンで「エラー表示」が出るようになりました。浴室リモコンの「追い焚き」ボタンを押すとディスプレイの時刻表示が点滅して時刻の経過が分からなくなります。追い焚きは実行されるので、致命的なエラーではありません。メンテ契約をしている東京ガスの関係会社に電話すると、来宅した修理担当者の診断結果は「中和器の不具合」でした。この時、初めて給湯器の中に中和器と言うパーツがあることを知りました。

中和器は名前の通り、給湯器内で発生するドレン水(酸性水)を中和処理するパーツで、一定量のドレン水を中和すると寿命に達するようです。この不具合はパーツ交換で簡単に解決したのですが、これが切っ掛けになって、先延ばししてきた「給湯器本体の更新」を真剣に考えるようになりました。Webを見ると、かなりお安い工事業者もありますが、長年付き合いのある東京ガスの関係会社に給湯器交換を発注することにしました。

給湯器本体の更新

工事には、東京ガスの関係会社とその下請け会社から各1名が来宅しました。工事開始早々、作業者の誤操作でブレーカーが落ち、我がPCで作成中のファイルが消失すると言うアクシデントが発生、この時は発注先を間違えたかと心配しました。それでも工事は2時間ほどで終了しました。本体の更新に伴い台所と浴室のリモコンも新しくなりました。下図でも明らかですが、浴室リモコンの時刻表示が大きくなり、視力の衰えた小生でも良く見えるようになりました。

浴室リモコンも更新(クリックで拡大)

今回の給湯器本体の更新で台所と浴室のリモコンは新しくなりましたが、床暖房のリモコンはそのまま使い続けています。こちらは操作がやや面倒と言うか、操作手順がイマイチ分かり難く、年のせいか覚えた手順を次のシーズンまでに忘れてしまうので、最近はOnとOffのダイレクト操作しかしていません。

遅めのe-TAX

寝る前にPCを起動して着信メールを見ると、昼間送信した申告書の受信通知がありました。

確定申告受信通知(クリックで拡大)

e-TAXでの確定申告、例年なら1月下旬に終わっているのですが、今回は身内に不幸があって、12月~2月は些事に追われて確定申告のことを忘れていました。今朝別件でWebを覗いていて、e-TAX申告期限が3月17日に迫っていることを知りました。認知症予備軍の隠居のこと、後回しにするとまた忘れて「期限切れ」の恐れがあるので、散歩に出る前に申告書を送信しておこうと、急遽、e-TAXのサイトを開きました。

e-TAXのシステムは、年々改良されているので操作手順も少しずつ変わっています。改良されて使い易くなるのは良いのですが、高齢者は以前の操作手順も朧な上、改良されたUIにも戸惑わされることが多いです。ところが今年は入力がスイスイと進んで、作成したデータを送信する画面に到達しました。いざ送信ボタンをクリックしようと思った時「何か違うぞ!」と感じたのです。

よく見ると還付金の額や受取銀行の口座が表示されていません。ズーッと入力開始まで戻って、準々に追って行くと、所得の欄に何も入力されていません。入力フォームが変わったなと思いながら、入力せずに通り過ぎてしまったようです。所得に関する入力が皆無だったので、この点はe-TAXも「未入力」のアラームを出すべきと思いました。或いは当方がアラームを見落としたか?

ところで、入力を開始する前に、下図のようなマイナポータル連携を選択する場面がありました。選択画面は昨年もあったような気がしますが思い出せません。出掛ける前で急いでいたので、事前準備でトラブルと厄介だと思い、連携しない方を選択したのですが、これが間違いだったようです。マイナポータル連携だったら年金などの所得情報はそちらから取得出来たように思います。マイナポータル連携を選ぶべきだったと思いました。

マイナポータル連携(クリックで拡大)

 

遅めの新年会

2025年2月19日、昔の職場の有志が集まって「遅めの新年会」が開かれました。会場は御徒町です。早めに御徒町に着いたので駅の周辺を歩いてみました。と言っても風が強く寒かったので松坂屋の店内に入って店内散歩です。小生が上野松坂屋を利用したのは半世紀も前のことで、以来ズーッとご無沙汰でした。リニューアルした松坂屋は昔のイメージが希薄でした。

暫く店内をウロウロした後、春日通り側に出て、会場の吉池食堂に向かいました。吉池食堂はビルの9階なので近くのエスカレーターに飛び乗ったのですが、9階までは結構時間が掛かりました。とは言え、スローなエスカレーターを利用したお陰でガラス張りの壁面を通して外の景色がよく見えました。東京スカイツリーも見えたので、途中下車?してゆっくり眺めました。

途中階からの眺めは撮ったのですが、認知症予備軍の老人のこと、新年会の様子は撮り漏らしました。残念。(^_^;)
我らが新年会の会場は大きな和室を3つに仕切った個室の一つで、当日の参加者9名には充分な広さでした。
和室とは言え掘り炬燵様式で、椅子席に近いので問題ないのですが、足腰が衰えた小生は立ち上がる時にフラつかぬよう気力・体力を集中しました。

ミニアルバム
当日撮ったスマホ写真を忘れないうちにアルバムに纏めようと思って、プラグインの NextGEN Gallery を使ったのですが、暫くご無沙汰していたので、プラグインの使い方を思い出すのに苦労しました。

 

授業料値上げ

最近、東京大学が学部生の授業料を年53万5800円から約11万円引き上げ、2025年度入学生から同64万2960円にすることを決めた、と言うニュースがありました。既に値上げした大学もあり、東京大学に呼応して値上げを検討する大学もあると聞きました。大昔、高度成長の前で日本全体が未だ貧しかった時代に大学生活を過ごした隠居は、授業料が50万とか60万とか聞いて「ウワッ!高い!」と驚きました。隠居が大学に入学した1959年、国立大学の授業料は9,000円/年でした。(下図参照)

大学授業料の推移(サイト「年次統計」より)(クリックで拡大)

1959年当時、国立大学と私立大学の授業料差は3~4倍あったので、小生は、私立に行くことは全く考えていませんでした。なお、当時の都立高校の授業料は600円/月(7,200円/年)だったようで、これに比べると国立大学の9,000円/年は安かったと思います。隠居の高校は国立だったので、授業料は更に安く100~150円/月(1,200~1,800円/年)くらいだったと記憶しています。小生の進学プランは、家から通学出来る首都圏の国立大学が目標で、授業料はアルバイトで稼ぐ予定でした。

当時、高度成長の前だったので、アルバイトの日給は300~350円/日でした。授業料9,000円/年をバイトで稼ぐには、30日働く必要がありました。入学した年の7月頃から登校せずにバイトに専念、後期は休学してバイトを続けました。4年分の授業料が貯まったかどうか記憶が定かではありませんが、復学した後も4年間、春休み、夏休み、冬休み、にはアルバイトに精を出していました。大学の授業はあまり思い出しませんが、アルバイトとそこでお会いした人達は懐かしく思い出します。

我がアルバイトの記憶(クリックで拡大)

現在の国立大学の授業料が60万円/年、バイト代が15万/月とすると、授業料を稼ぐには4ヶ月働く必要があります。30日で間に合った隠居の時代と比べると大変な負担増のように思います。昔と違って今は給付型奨学金の制度が充実しているのかもしれませんが …………。高校の夏休み、岩切晴二の「解析精義」や「三角法精義」に夢中になったことと比べて、アルバイトに忙しかった大学時代はあまり勉強した記憶がありません。学業の面で言えば、アルバイトはあまりしない方が良いと思っています。

上図に、S区役所での保険料計算がありますが、当時の地方自治体の計算事務は、ソロバンと手回しのタイガー計算機が主でした。ところが新年度から国民健康保険制度が発足するため、区役所は奮発して、手回しではなく電動式の計算機を用意、それを使って我々アルバイトが計算業務を担当したのです。事前の見積もりでは、アルバイト一人当たり一日5百件として、4人で30日あれば6万件処理可能と見込んでいたようです。統計を見ると、当時のS区の所帯数は8万だったので、小生としては、国保対象所帯数は6万所帯以内だったと推定します。

電動計算機による処理実績ですが、4人の中では一番若い小生が約700件/日でトップでした。アルバイト中のある一日、S公会堂を借り切って職員慰労会が開催され、我々アルバイト生も招待された記憶があります。M重工の図面トレースでは、古手の係長が「君、製図はうまくないな!アルバイト中に俺が鍛えてやる。」とのことで、直々に鉛筆の選び方から、削り方、芯の形状の整え方まで教えられ鍛えられました。お陰で、クラス中で一番綺麗な図面が画けるようになりました。

アルバイトに関連して二つの流行歌を思い出します。初めてのアルバイト「塗料調合」は揮発性の溶剤を扱う作業なので、工場入口付近の半屋外が作業場でした。作業していると近所(多分ラジオ)からペギー葉山の「南国土佐を後にして」が四六時中聞こえてきました。また、港湾関係会社のスケッチ製図では、毎日、会社近くのマリンタワーの食堂で昼食をとりました。夏なのに、いつ行っても吉永小百合の「寒い朝」がBGMとして流れていたのを覚えています。

選手交代7_長傘

隠居は緊急時以外は長傘を使用しています。先日、傘をすぼめようとして傘骨がブラブラしているのに気がつきました。ジャンプ式なので、親骨と親骨を支える受骨に加えて「引線」と言う短い骨がありますが、受骨と引線を接続しているハトメが腐食して壊れたようです。考えてみると、この傘は90年代後半に購入したので四半世紀も使っています。外れた部分を観察すると、街の修理屋さんに持って行けば直りそうな気もしますが、四半世紀も使ったので選手交代させることにしました。

壊れた受骨と引線の接続部(クリックで拡大)

尤も、交代する傘も引退する傘と同じく四半世紀前に買ったものなので古いですが、未使用品なので外観は新品のようで今後10年は使えそうです。傘のブランドはOLIVERとイヴサンローランでどちらも傘地は紺色です。売り場で、どちらにするか迷ったのですが、迷ったあげく両方とも購入しました。OLIVERの方が少し安く気軽に使えたので、イヴサンローランの方はバックアップ的な存在となり、結果、OLIVERが20数年間ズーッと使われ続けました。

1990年代後半に入手した長傘二本(クリックで拡大)

長年愛用した傘なので愛着があり、なんとなく別れ難いので、廃棄する前に記念写真?を撮りました。OLIVERの方は「玉留め」が無く、口(くち)ネームバンドで親骨を束ねる方式、イヴサンローランの方は「玉留め」があり、布製の傘袋もついていてクラシックな感じです。胴ネームの留め具も、OLIVERはホック式、イヴサンローランはボタン&リング式です。後継となるイヴサンローランの方は、既に2度持ち出して使いましたが、OLIVERとは使い勝手に微妙な差を感じました。

郵便料金値上げ

先日、昔在籍した会社から毎年開かれている会の開催通知が届きました。例年同様に同封のハガキで出欠の連絡を求められました。いつもと違ったのは「10月1日以降は不足分の切手を貼って投函してください。」との《但し書》が添えられていたことです。お陰で忘れかけていた「郵便料金の値上げ」を思い出しました。隠居はケチなので値上げ前に投函しました。インターネットが普及して郵便の利用が減るのは時代の趨勢、料金の改定はやむを得ないと思っています。

料金改定の履歴(クリックで拡大)

料金の改定はやむを得ないと言っても、郵便料金値上げで困るのは、ストックしているハガキや切手の使い勝手が悪くなることです。不足分の切手を追加で貼れば解決する問題ですが、面倒だし、ハガキの場合は切手を貼るスペースを確保するために差出人の住所・名前のスペースを侵すことになります。我が引き出しの中は、差額補填用の2円切手、10円切手、ハガキや封書用の63円切手や84円切手で賑やかなことになっています。

その引き出しの中の大きなスペースを占めているのが、普通ハガキと往復はがきです。過剰なストックの原因は、ある年、年賀ハガキを発売早々に買ったことを忘れ、年の瀬が迫って慌てて再購入したようです。後年、捜し物をしていたら未使用の年賀ハガキの束が出てきたのです。年賀ハガキを通信用に使うわけにもゆかず、普通ハガキと往復ハガキに交換したのですが、丁度インターネットが普及してオンラインで各種申込みが可能となり、ハガキを使うことが激減したため、過大なストックはなかなか減らないのです。

日本年金機構や区役所などからの通知には、返信用のハガキや封筒が同封されてきますが、それらは料金別納でなく、大抵「切手を貼ってください。」と印刷されています。そのため、普通のハガキだけでなく、ハガキや封書に貼る切手もストックが必要です。2014年の料金改定時は、差額補填用の少額切手で対応したように思いますが、意外と面倒だったので、2017年や2019年の改訂では、新しい切手やハガキに交換しました。但し、交換には手数料が必要なのが欠点です。

今回の料金改定でも、金銭的には損ですが手数料を払って、新しい切手とハガキに交換することにしました。交換に行く前夜、手持ちのハガキ(普通・往復・年賀)と切手類(2円・10円・63円・84円)を数えて、交換申込の合計額と手数料及び局側の払出ハガキ・切手の合計額をExcelで計算しました。インクジェットはがきは、10枚ずつ透明な袋に入っていますが、員数の確認のため袋から取り出して枚数を数える作業が大変でした。特に写真用は重なったハガキが密着していて数え難いのです。

今回は、はがき153枚、往復はがき4枚、切手54枚(合計211枚)を、はがき16枚、往復はがき6枚、切手36枚(合計58枚)に交換しました。枚数が劇的に減りましたが、理由は、あまり使わなくなったハガキを減らし、高額切手を増やしたためです。うっかりしていたのは、交換枚数が100枚を超えると手数料が倍になることを失念してました。窓口の職員に「どうします?」と聞かれたのですが、面倒なので「倍額OK」と答えて交換作業を進めて貰いました。下のExcel計算表の手数料は帰宅後再計算したものです。

ハガキ・切手の交換(クリックで拡大)

矢張り(と言うか予想通り)、郵便窓口でもハガキの員数確認が大変でした。窓口では券種毎に枚数を端末機に入力し、最後に「受入合計」が打ち出されます。窓口の職員は小生が作成したExcel計算表の合計額と一致することを確認、そこから手数料を差し引いた払出可能金額に見合うハガキと切手の組み合わせを調整しました。この交換作業に30分ほど掛かりました。横浜中央郵便局の4つの郵便窓口の1つを小生が30分ほど占有してしまいました。

漸く新札に触る

7月に新札発行のTVニュースを見て、早く触りたいと思っていたのですが、最近はキャッシュレス決済で、ATMで現金を引き出すことが少なく、新札に遭遇するチャンスがありませんでした。新札発行から3ヶ月が経過して、認知症予備軍の隠居はスッカリ忘れていたのですが、数日前、必要があってATMで現金を引き出したところ、新札と旧札が混ざっていることに気がつきました。3ヶ月遅れではありますが、漸く新札に触ることが出来ました。

折角なのでコピーを取ろうと思って、キヤノンの複合機でスキャンしたらアラームメッセージが出てスキャンが出来ません。複合機に組み込まれた偽造防止技術が働いてお札のコピーは出来ないようです。スキャンは諦めてスマホで撮影した画像が下の写真です。写真に「見本」と言う文字を上書きするために AdobeのIllustratorやPhotoshopを起動したのですが、紙幣画像を開こうとしたら「紙幣イメージの編集はサポート対象外です。」と言うアラームが出てファイルを開けませんでした。

新札1(スマホ写真)(クリックで拡大)

お札は、コピーしただけでも「通貨及証券模造取締法違反」として起訴される可能性があるそうです。キヤノンの複合機やAdobeのアプリに使われている偽造防止技術は「ユーリオン」と呼ばれています。5つの小さな円形模様を最小単位として、その模様が紙幣の様々な方向に繰り返し描かれています。開発したオムロン(株)の社名から「オムロンリング」とも呼ばれており、偽造防止技術の一つとして各国の紙幣に使われているそうです。

しかし、画像処理アプリが使えないと、上の写真のように「見本」の文字を上書きすることが出来ません。画像無しでは投稿記事が寂しいので、お札の複写や画像処理に挑戦してみました。善良な日本国民である隠居としては、あくまで法令違反を避けた上での「自由研究」です。詳細を記すと差し障りが出そうなので、ここでは省略しますが、お札を複写して、Photoshopで加工して、Illustratorで文字を入れた例が下図です。

新札2(スキャン画像)(クリックで拡大)

新しいお札には従来からの偽造防止技術に加えて、新たに「高精細すき入れ」と「3Dホログラム」が採用されています。但し「すかし」は、新札2(スキャン画像)の画像ではよく見えません。新札1(スマホ写真)の画像なら明瞭に見えます。その周りにある「高精細すき入れ」も何とか見えます。

なお、今回入手出来なかった五千円札は、元々使用頻度が低いので我が家に来るのはいつのことか分かりませんが、気長に待つことにします。

久しぶりの銀座散歩

2024年9月5日、昔の職場の有志が集まって「暑気払いの会」が開かれました。会場は銀座です。8月末から9月上旬は台風やら大雨やらで気温もやや下がり気味で心配しましたが、暑さがぶり返して暑気払いに相応しい陽気になりました。有楽町から歩くと言う選択肢もあったのですが、暑くなりそうだったので、新橋から地下鉄で銀座に出ることにしました。

コロナで外出を自制していた頃、義歯の修理で虎ノ門の歯科医院に行くため二度ほど新橋駅を通過したことがありましたが、二度ともJRから地下鉄に直行したので、久しぶりに今日は寄り道をして新橋駅西口広場に出てみました。駅前のニュー新橋ビルを覗いた後、西口広場をグルッと回って、地下鉄の改札に向かいました。

早めに銀座駅に着いたので駅の周辺を歩いてみました。歩きながら目の前の街と頭の中の朧な記憶との間に違和感を覚えたのですが、原因は数寄屋橋交差点と銀座交差点の記憶が頭の中でゴチャゴチャしていたようです。その点に気がついたのは、下のミニアルバム用に地図を作っている時で、それまでは間違った認識に気がつきませんでした。

銀座は昔の通勤定期の通過駅だったので、週末にはよく(と言うか毎週)ここで降りて有楽町の碁会所に通いました。有楽町の碁会所については、別ページの「碁会所」に書きました。当時は未だ20代の後半だったので、頭の片隅で遙か先の朧な未来を想像して「定年退職したら毎日碁が打てる。」と思ったりしたのですが、老いが進んで段々体力が衰えることまでは考えが及びませんでした。

ミニアルバム「久しぶりの銀座散歩」(クリックで拡大・移動)

またまた!

何が「またまた!」かと言うと、エアコンの水漏れです。
前回の投稿の最後に「もっと長期間の様子を見ないと、- – – – 」と書きましたが、危惧した予感が的中しました。
僅か一週間で水漏れが再発してしまったのです。(>_<)

水漏れ状況(クリックで拡大)

猛暑続きで販売店も修理屋さんも忙しいのか、修理担当者が来たのは一週間後でした。今夏最悪の猛暑の中で、冷房無しの一週間を過ごしました。水漏れの症状は前回と同じでしたが、今回は気がつくのが早かったのでフロアーの水溜まりは前回の3割程度で済みました。それでもスピーカーやUSB-HDDが水を被りました。

前回「これが《詰まり原因物質》と言うようなモノは出なかったので失敗かと思った。」と書きましたが、矢張り失敗でした。その証拠が一週間後の再発です。前回は《原因物質》を確認出来ず、水が流れたことで「詰まり解消」と判断しましたが《原因物質》は除去されておらず、詰まった箇所に隙間が出来て水が流れただけだったようです。

今回の作業員は「ワイヤー」は使わず、巨大な注射器(真空ポンプ)だけで作業してました。作業員が「出ました。」と言うので見ると、夕暮れ時の薄暗いベランダの排水溝に、直径約10mm、長さ約20mmほどの円筒形のブツがボンヤリ見えました。加齢で視力も衰えた隠居、明るい処で見たかったのでティッシュで摘まんで貰いました。

詰まり物質(クリックで拡大)

ティッシュで摘まむ時に円筒形は潰れてしまいましたが、前回は見ることが出来なかった《詰まり物質》を間近で見たり、指で触れたりすることが出来ました。とは言え、灯火の下で眼を近づけても《詰まり物質》が何かは隠居には分かりません。TVドラマのM女なら、研究所に持ち帰って分析するところですが、隠居は「これが詰まり物質か」と感心しながら眺めるだけでした。

ドレンホースにこんなモノが詰まっていたら、水はドレンパンから溢れて水漏れを起こします。しかし、13年前にマンションに入居した時、4部屋に同一シリーズのエアコンを設置、これまで一度も水漏れを起こしていませんでした。4台を13年間使って起きなかったことが、使い始めて2年目のエアコンで起きたことが信じられません。摩訶不思議と思いました。

隠居の若い頃は、製造ラインの不良対策、良品率向上に取り組んでいたので、本当は「詰まり物質」がどんな組成で、どう言うメカニズムでホース内に溜まったのか知りたい気持ちが強いのですが、気力・体力も衰えた隠居では何ともなりません。取り敢えず、シーズン中に再々発しないことを祈るばかりです。

エアコン水漏れ

2024年7月6日(土)の午後、そろそろ日課の散歩に出掛けようかと思っていたら緊急事態が発生しました。TV台周辺のフローリングに水が溜まっているのです。見上げると、TVの上方に設置されたエアコンから水が漏れて雨のように降っています。慌ててリモコンでエアコンの運転を停止、使い古しのバスタオルでフローリングの水溜まりを拭きましたが、そんなものでは間に合いません。バスタオル2枚とフェイスタオル4枚で何とか溜まった水を吸い取りました。

いつもなら、行きつけのお店でコーヒーを飲みながらスマホの動画を見るところでしたが、緊急事態が発生した今日はヨドバシのエアコン売り場に直行しました。土曜の午後なので売り場は買い物客で溢れ、販売員もてんてこ舞いです。手空きの販売員を見つけて声を掛けたらH社の名札をつけていました。接客している販売員は、プロパーの社員は少なく多くがメーカーから応援に来ている方々でした。

小生が声を掛けた販売員は、応援販売員なので対応は出来ないと言うのですが、てんやわんやの売り場でヨドバシの社員を見つけるのは大変なので、ヨドバシの販売員に取り次いでくれるよう頼みました。30分くらい待ってくれとのことなので、売り場の商談用エリアで待ちました。ヨドバシの販売員と打ち合わせた結果、取り敢えず設置会社の作業員が来宅して対応し、本体の問題と分かれば、別途メーカーの人間が来宅することになりました。

二日後の月曜日、9時半頃、設置会社の作業担当者が来訪、かなりの年配で頭髪は80代の小生といい勝負でした。クーラーが停止しているので高温環境下の作業となり、禿頭に汗が溢れ一寸気の毒でした。状況から、ドレンホースの「詰まり」が原因と判断したようです。

◆ドレンホースクリーナー(真空ポンプ作戦)
最初に「エアコンの水漏れ用ドレンクリーナー」を使って「詰まり」の原因物質を吸い出す方法を試みました。このクリーナーは注射器みたいですが、実物はかなり大きく、まるで象用の注射器みたいです。ドレンホース内を真空にして異物を吸い出します。この方法で成果があったのかどうか、傍で見ている小生には分かりませんでした。

ドレン詰まり取りポンプ(クリックで拡大)

◆ワイヤー式詰まりゴミ取り具(ワイヤー作戦)
このゴミ取り具は、ワイヤー(スチール線と思われる)を巻取ってコンパクトに収納したものです。そこから必要な長さのワイヤーを引き出して、ドレンホースの終端部から差し込み、ドレンホースの途中にある「詰まり原因物質」を取り除くものです。下の写真は全く別の商品ですが、ホース内の挿入状況を示しています。スチール線の優れた直進性で長い配管にも対応、先端の形状が丸いので屈曲部への挿入も容易です。

ドレンホース断面図(クリックで拡大)

真空ポンプ作戦でも、ワイヤー作戦でも、これが「詰まり原因物質です」と言うようなモノは出なかったので失敗かと思ったのですが、作業担当者は「詰まり」は解消していると判断したようです。あるいは、作業開始前に既に詰まりは解消していたと判断したのかもしれません。次にドレンホースの詰まり解消を確認することになりました。

◆詰まり解消を確認
「詰まり」が解消していることを確認するため、ペットボトルを改造した水差しを使って、室内機内の結露水を受けるドレンパンに水を注いで、室外のドレンホース終端部から水が流れ出るのを確認しました。
ドレンホースから水が流れ出たので「詰まり」は解消したと考えエアコンを再稼働させました。作業員が帰った後3時間ほど経過しても水漏れの気配はありません。

そこで漸く散歩に出掛けることにしました。下の写真は散歩から帰って、入浴後の夜9時頃に撮ったものです。エアコン再稼働から10時間が経っていますが、水漏れはありません。
とは言え、もっと長期間の様子を見ないと、目出度し目出度しとは書けません。

運転再開 10時間経過後の様子(クリックで拡大)