リモコン交代

居間のTVに接続されているレコーダーは4基ありますが、普段使っているのはパナソニックのDMR-4T403と言うブルーレイディスクレコーダーです。ニュースや朝ドラに加えて古いB級ミステリーを録画再生していますが、最近、レコーダーがリモコンに反応しなくなりました。と言っても「30秒送り」以外のボタンにはしっかり反応します。反応しないのは「30秒送り」ボタンに対してだけです。

ニュースや朝ドラはNHKなのでCMは入りませんが、民放のB級ミステリーにはCMが入ります。再生時にCMを見たくないので、以前のレコーダーではCMカット機能を多用していました。多分、放送局から横やりが入ってレコーダーメーカー側が対応したのか、本機にはCMカット機能がありません。CMは手動でスキップする仕様です。そのため隠居は「30秒送り」ボタンを多用しています。

以前はCMの時間が短く「30秒送り」ボタンを4~5回クリックすればスキップ出来たのですが、最近は8~10回くらいクリックが必要です。そのため「30秒送り」ボタンのクリック回数は他のボタンに比べて格段に多く、関連するメカと接点に負荷が掛かります。ところがメーカーは、ユーザーの「30秒送り」ボタンの連打を考慮していなかったため耐久性に問題が出てきたと思われます。

連打によるボタンの劣化としては、接点の接触不良ですが、見えない部分なので接触面の汚れなのか変形なのか分かりません。若い頃と違ってリモコンを分解して調べる元気も無いので、取り敢えず電池を交換してみたところ、少し改善された気がしますが、新品当時の軽快さはありません。思い切ってリモコンを購入して試したどころ、当たり前ですがレコーダー購入時の反応が再現しました。

選手交代(クリックで拡大)

リモコンの買い換えで問題は解決ですが、パソコンのキーボードに比べて寿命が短過ぎるような気がします。このレコーダー、コストダウンし過ぎて制御用CPUの性能もイマイチだし、4Kチューナーを1台減らしたので3番組予約時に番組によっては問題が出て使い勝手が悪いです。レコーダーが企業内の花形分野ではなくなって、開発能力も劣化しているのかもしれません。

CP+2026

加齢のため記憶が朦朧としてきて「CP+がいつ頃から始まったのか?」思い出せません。Webで調べたら、第1回は2010年にパシフィコ横浜で開催されたようです。それ以前は「日本カメラショウ」と言う展示会があり、東京の会場を何度が覗いた記憶が微かにあります。その後、デジタル技術が進化してカメラ単体の展示だけでは時代に合わなくなり、映像文化全体の展示会へと発展、会場もパシフィコ横浜に移ったようです。

隠居は2011年末に紅葉坂へ転居、CP+の会場「パシフィコ横浜」に歩いて行けるようになり、2012年からコロナ期を除いて毎年CP+を覗くようになりました。混雑を避けるため毎年、初日に参観するのですが、今年は暇な隠居には珍しく初日も二日目も用事があって行かれず、2月28日(土曜日)の午後に出掛けました。土曜の午後、予想通り大混雑で動作の鈍くなった老人には難儀な参観となりました。

CP+2026参観ルート(クリックで拡大)

混雑を避けて開場時間10:00に合わせて行きたかったのですが、この日は郵便局に用事があり、土曜日も営業している横浜駅前の横浜中央郵便局で用事を済ませた後、CP+に向かいました。横浜駅でみなとみらい線に乗る時から大混雑で、展示ホールも大混雑でした。人混みの中で「日本人のサイズが大きくなった。」ことを痛感しました。女性も大きくなり歩く速度も速くなりました。

各社ブースと参観ルート(クリックで拡大)

上の図は、展示ホールの1階と2階の平面図をパシフィコ横浜のサイトから借用、展示ホールの配置図とアネックスホールの図をCP+のサイトから借用して、其れ等を強引に重ね合わせたものです。会場では、大きくなった日本人に遮られて思うように写真を撮れませんでしたが、人混みの隙間から撮った何枚かと、展示ホールを出た後で撮った何枚かを下に載せておきます。これを見ると、ボケ老人の興味はカメラからモデルさんに転向したようです。(^^;)

ミニアルバム(CP+2026)
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【追記】

この投稿を書いている時も「CP+2025」のことが気になっていました。スマホで何枚か撮ったはずですが、そのフォルダーが見つからないのです。ところが、この投稿をアップした2~3日後にその行方不明のフォルダーが見つかったのです。新たに投稿「CP+2025」を完成させるのがベストですが、横着者の隠居は面倒なので「ミニアルバム2」として画像だけここに載せることにしました。

ミニアルバム2(CP+2025の画像)
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以上

体温計

何週間か前のことですが、朝起きたら体調がおかしいのです。インフルエンザにでも罹ったかと心配になり、体温計を取り出したのですが、起動ボタンを押しても表示部に何も表示されません。電池切れかと思い電池を交換してみたのですがウンともスンとも言いません。コロナの頃は問題無く使えたので気づくのが遅れましたが、体温計本体の寿命かもしれません。価格が千円台の商品なので新規に購入した方が良さそうです。

とは言え、体温を測れないので弱りました。この時、家に水銀体温計があることを思い出しました。何年か前、横浜市の水銀使用製品回収運動に自治会が応じてマンション内で回収運動を展開、我が家も何本かあった水銀体温計と温度計を処分しました。何故かこの時1本だけ処分漏れした体温計がありました。探し物をしていて偶然その処分漏れの体温計に遭遇したのです。ところが何処にあったのか思い出せません。体調がおかしいことは棚に上げて、アチコチの引出を虱潰しに探し、その水銀体温計を見つけました。体温を測定して特に問題無いことが確認出来ました。

処分漏れの水銀体温計(クリックで拡大)

写真の体温計は現役時代に会社の健康保険組合から頂いたモノです。一年間一度も健康保険を使わなかった〈健康優良児〉として支給されたり、組合の何かの記念行事で全組合員に支給されたモノです。職場や家の引出に何本かありました。職場のモノの行方は思い出せませんが、家にあったモノは、上述の政省令の改正に伴う水銀使用製品の回収運動を機に処分しました。全部処分したつもりでしたが、写真の体温計だけが処分漏れして放置されていたのです。

その処分漏れが幸いして、体温を測定出来ました。熱は無かったので安信しましたが、このまま水銀体温計を使い続けるわけにも行かないので、後日、電子体温計の二代目を購入することにしました。ところが認知症予備軍の隠居は購入することをスッカリ忘れていました。色々雑事が重なって隠居としては忙しかったこともあったのですが、雑事が片づいて少し落ち着いた一昨日、ローチェストの上に件の壊れた電子体温計を見て購入することを思い出しました。

体温計3代(クリックで拡大)

写真は、上から数十年前の「水銀体温計」、初代の「電子体温計」、先日購入した二代目「電子体温計」です。初代のメーカーはオムロンですが、二代目はテルモです。普段はあまり体温は計りませんが、いざという時に必要なので購入、試しに我が体温を測定したところ、写真には「36.6℃」と表示されています。拡大すると表示窓が読めます。なお、電子体温計の寿命は5年前後ですが、水銀体温計はガラス管等が損傷しない限り寿命は無限だそうです。

[追記]
隠居はまたまた思い出しました。上述の「オムロンMC-680」は初代ではないことに気がついたのです。1990年代前半、信州の工場に勤務していた時、マレーシアから帰国した翌週に高熱を発したのです。はじめは「今日は冷房が効き過ぎているのか寒いな!」と思ったのですが、周囲の人達は寒そうな様子を見せていないので、どうやら自分だけの問題と気がつきました。

事務机の引出から体温計(保険組合から貰った水銀体温計)を取り出して計ると水銀柱の境目(上端)が見えません。よく見ると、測定限界の42℃まで水銀柱で満たされています。体温計の知識は無くても異常事態だと思いました。工場の診療所に電話して産業医に話すと「直ぐ来なさい」とのこと。問診と検温の結果、産業医曰く「体温を下げるのが急務、解熱剤(座薬)を出しますが、万一熱が下がらない場合は救急車を呼ぶこと。」と。

帰宅のタクシーの中で「診療所の体温計は電子式だった。」ことを思い出し、運転手氏に途中の薬局の前で止まって貰いました。店に飛び込んで電子体温計を購入しました。1995年のことですから、機種は多分オムロンのMC-30と思われます。残念ながらnet上には画像データが見つかりませんでした。但し、電子体温計の測定上限は42℃でした。

産業医から幾つか注意事項がありましたが、30年も前のことなので全く覚えていません。座薬を装着した後、床に着きましたが、8月なのに寒くてガタガタ震え、冬用と夏用の布団二枚を被って寝ました。産業医に30分だか1時間おきに体温を測るよう言われていて目覚時計をセットして寝た記憶があります。そのうちに暑くて暑くてパジャマが汗びっしょりとなり、夏用パジャマ2着、冬用パジャマ2着を使い果たした後は下着で凌いだことを思い出します。

翌日、目を覚ますと体温は下がっていて真夏の暑さを感じました。座薬は劇的に効いたようです。普段通りに出社して勤務し、終業後は麻雀仲間に誘われて徹夜麻雀に付き合ったことを覚えています。その後、パジャマを新調する時は3着注文することが習慣になりました。

 

鼻毛カッター

今朝(2025年12月6日)、洗面が終わった後で、鼻孔がムズムズするので「ハハーン」と思いました。案の定、手入れしたばかりなのに長いのが2本鼻孔から顔を覗かせていました。ハサミで切ってそのまま捨てようと思ったのですが暇なので記念に写真を撮っておくことにしました。長いと思ったのですが、一緒に撮った10円硬貨の直径が23.5mm(規格&実測)なので我が鼻毛の長さは3cm弱でした。

洗面後に現れた鼻毛

80代半ばになって、全ての身体機能が日に日に衰えてゆくのを実感していますが、鼻毛だけは元気に毎日確実に伸びてきます。多分、生命維持に必要な空気を取り入れる際のフィルターとしての役割がそれだけ重要なのかもしれません。その鼻毛、時たま反旗を翻して鼻孔の奥から顔を出すので困ります。家にいる時なら対応は簡単ですが、街を歩いている時とか、人と対面中などは大変困ります。

鼻毛は身体を保護する役割を持つため、ある程度の長さが必要ですが、その長さが適切でないと、他人からも見えてしまい、身だしなみとして気になります。学生時代は気にしたことは無かったのですが、会社員になって数年した頃から気になりだしたようです。先輩或いは同僚社員に指摘されたのかもしれません。その辺の事情は、認知症予備軍の隠居の記憶は朦朧としてハッキリしません。

最初に使用した道具は鼻毛用の小さなハサミでした。鼻孔の内壁を傷つけないように刃の先端が丸くなったハサミです。朝の洗面時、鏡の前で点検して必要ならハサミを使っていましたが、狭い鼻孔の中での操作が面倒でした。とは言え、小形で軽量なので通勤用のカバンに入れても邪魔にならず重宝してました。そのうち出張用のカバンにも常駐するようになりました。

鼻毛用ハサミ(クリックで拡大)

そんな時、会社の帰りに川崎駅ビル(建て替え前の古い駅ビル)の金物店で手動鼻毛カッターを見つけました。当時のモノとは違いますが、下の写真のような構造でした。原理は簡単ですがうまく使えるかどうか不明でしたし、未だ安月給だったこともあって、直ぐには購入しませんでした。何度かお店に通って商品棚を眺めた後に意を決して購入しました。

最近の手動鼻毛カッター(クリックで拡大)

ところが手動鼻毛カッターの使用は長続きせず鼻毛用のハサミに戻っています。正確に何年何月頃とまでは覚えていませんが、半世紀以上前の製品ですから、日本製と言っても品質に問題があったのかもしれません。当時使っていた通勤用・出張用のカバンが5~6個ありましたが、それぞれのカバン内ポケットにハサミが残っていたので、ハサミを使い続けていたと思われます。

退職してから既に四半世紀経ちますが、我が洗面所の棚には電動鼻毛カッターが鎮座しています。認知症予備軍の隠居のこと、電動式を我が家にお迎えした時期はハッキリしませんが、2011年に現在のマンションに転居した後のことなので2010年代の中頃と思われます。現在洗面所の棚には下図の4機種が鎮座していますが、使うのは1番のフィリップス機と4番のパナソニック機です。

鼻毛カッター(クリックで拡大)

2番のフィリップス機は1番機の後継機として期待して購入したのですが、カッターとしての機能を発揮せず直ぐにお蔵入りになってしまいました。代わりに購入したのが3番のパナソニック機です。1番は眉毛用や耳毛用として使い、鼻毛用は3番の役割でしたが、電池寿命が近づき負荷が大きい場合にカット動作を停止してしまうことが判明しました。

実は3番機だけが単4電池仕様なので細くスマートですが、ややパワー不足で鼻毛カット中に停止してしまったようです。散歩の途中でヨドバシの売り場を覗くと、同じパナソニック製で単3電池駆動機種がありました。早速購入したのが4番機で、以後、鼻毛専用機として活躍しています。3番機はお蔵入りではなく旅行用にするつもりですが、残念ながら未だ旅行の機会がありません。

青森東方沖地震

地震の時、隠居は朦朧とした状態でPCの前に座っていました。20年以上も目眩に悩まされている小生「何だかフラフラするなあー!」と思って、持病の目眩なのか地震なのか見極めようと暫くジッとしてましたが分かりません。PCの前を離れて居間に行きTVを点けると、画面には津波の予想情報が出ていたので「揺れは地震」だったことが判明しました。

残念ながらTVの方は津波情報一辺倒で遠く離れた横浜の震度には触れてくれません。そのままズーッと見ていれば、気象庁の発表等で各地の震度も出ると思いますが、他にすることがあり、TVを消してPCの前に戻りました。4月から新聞を取っていないので朝刊で確認することも出来ません。そのため、暫くは我が家の震度は分からずじまいでした。

東日本大震災の時は磯子区洋光台の団地住まいでした。ゴミを出しに建物から出た時に「揺れ」を感じ、今回同様に地震か目眩か迷ったのですが、この時は近くの電線が大きく揺れていたので直ぐに地震と分かりました。あの時、横浜は震度3か4だったのですが、今回は、Webに載っていた下の画像で判断すると震度2くらいだったようです。

青森東方沖地震の震度分布(クリックで拡大)

実は我がパソコンにもTVチューナーカードは入っているのですが、8月にCPUを保証交換した際、横着者の隠居はTVチューナーの設定をしていなかったため、今回のような咄嗟の場合に間に合わなかったのです。当該TVチューナーカードは一寸癖があり設定が面倒なので、設定しなければと思いつつ一週間経った今も未だ手がついていません。

給湯器の更新

今年に入って浴室リモコンで「エラー表示」が出るようになりました。浴室リモコンの「追い焚き」ボタンを押すとディスプレイの時刻表示が点滅して時刻の経過が分からなくなります。追い焚きは実行されるので、致命的なエラーではありません。メンテ契約をしている東京ガスの関係会社に電話すると、来宅した修理担当者の診断結果は「中和器の不具合」でした。この時、初めて給湯器の中に中和器と言うパーツがあることを知りました。

中和器は名前の通り、給湯器内で発生するドレン水(酸性水)を中和処理するパーツで、一定量のドレン水を中和すると寿命に達するようです。この不具合はパーツ交換で簡単に解決したのですが、これが切っ掛けになって、先延ばししてきた「給湯器本体の更新」を真剣に考えるようになりました。Webを見ると、かなりお安い工事業者もありますが、長年付き合いのある東京ガスの関係会社に給湯器交換を発注することにしました。

給湯器本体の更新

工事には、東京ガスの関係会社とその下請け会社から各1名が来宅しました。工事開始早々、作業者の誤操作でブレーカーが落ち、我がPCで作成中のファイルが消失すると言うアクシデントが発生、この時は発注先を間違えたかと心配しました。それでも工事は2時間ほどで終了しました。本体の更新に伴い台所と浴室のリモコンも新しくなりました。下図でも明らかですが、浴室リモコンの時刻表示が大きくなり、視力の衰えた小生でも良く見えるようになりました。

浴室リモコンも更新(クリックで拡大)

今回の給湯器本体の更新で台所と浴室のリモコンは新しくなりましたが、床暖房のリモコンはそのまま使い続けています。こちらは操作がやや面倒と言うか、操作手順がイマイチ分かり難く、年のせいか覚えた手順を次のシーズンまでに忘れてしまうので、最近はOnとOffのダイレクト操作しかしていません。

遅めのe-TAX

寝る前にPCを起動して着信メールを見ると、昼間送信した申告書の受信通知がありました。

確定申告受信通知(クリックで拡大)

e-TAXでの確定申告、例年なら1月下旬に終わっているのですが、今回は身内に不幸があって、12月~2月は些事に追われて確定申告のことを忘れていました。今朝別件でWebを覗いていて、e-TAX申告期限が3月17日に迫っていることを知りました。認知症予備軍の隠居のこと、後回しにするとまた忘れて「期限切れ」の恐れがあるので、散歩に出る前に申告書を送信しておこうと、急遽、e-TAXのサイトを開きました。

e-TAXのシステムは、年々改良されているので操作手順も少しずつ変わっています。改良されて使い易くなるのは良いのですが、高齢者は以前の操作手順も朧な上、改良されたUIにも戸惑わされることが多いです。ところが今年は入力がスイスイと進んで、作成したデータを送信する画面に到達しました。いざ送信ボタンをクリックしようと思った時「何か違うぞ!」と感じたのです。

よく見ると還付金の額や受取銀行の口座が表示されていません。ズーッと入力開始まで戻って、準々に追って行くと、所得の欄に何も入力されていません。入力フォームが変わったなと思いながら、入力せずに通り過ぎてしまったようです。所得に関する入力が皆無だったので、この点はe-TAXも「未入力」のアラームを出すべきと思いました。或いは当方がアラームを見落としたか?

ところで、入力を開始する前に、下図のようなマイナポータル連携を選択する場面がありました。選択画面は昨年もあったような気がしますが思い出せません。出掛ける前で急いでいたので、事前準備でトラブルと厄介だと思い、連携しない方を選択したのですが、これが間違いだったようです。マイナポータル連携だったら年金などの所得情報はそちらから取得出来たように思います。マイナポータル連携を選ぶべきだったと思いました。

マイナポータル連携(クリックで拡大)

 

遅めの新年会

2025年2月19日、昔の職場の有志が集まって「遅めの新年会」が開かれました。会場は御徒町です。早めに御徒町に着いたので駅の周辺を歩いてみました。と言っても風が強く寒かったので松坂屋の店内に入って店内散歩です。小生が上野松坂屋を利用したのは半世紀も前のことで、以来ズーッとご無沙汰でした。リニューアルした松坂屋は昔のイメージが希薄でした。

暫く店内をウロウロした後、春日通り側に出て、会場の吉池食堂に向かいました。吉池食堂はビルの9階なので近くのエスカレーターに飛び乗ったのですが、9階までは結構時間が掛かりました。とは言え、スローなエスカレーターを利用したお陰でガラス張りの壁面を通して外の景色がよく見えました。東京スカイツリーも見えたので、途中下車?してゆっくり眺めました。

途中階からの眺めは撮ったのですが、認知症予備軍の老人のこと、新年会の様子は撮り漏らしました。残念。(^_^;)
我らが新年会の会場は大きな和室を3つに仕切った個室の一つで、当日の参加者9名には充分な広さでした。
和室とは言え掘り炬燵様式で、椅子席に近いので問題ないのですが、足腰が衰えた小生は立ち上がる時にフラつかぬよう気力・体力を集中しました。

ミニアルバム
当日撮ったスマホ写真を忘れないうちにアルバムに纏めようと思って、プラグインの NextGEN Gallery を使ったのですが、暫くご無沙汰していたので、プラグインの使い方を思い出すのに苦労しました。

 

授業料値上げ

最近、東京大学が学部生の授業料を年53万5800円から約11万円引き上げ、2025年度入学生から同64万2960円にすることを決めた、と言うニュースがありました。既に値上げした大学もあり、東京大学に呼応して値上げを検討する大学もあると聞きました。大昔、高度成長の前で日本全体が未だ貧しかった時代に大学生活を過ごした隠居は、授業料が50万とか60万とか聞いて「ウワッ!高い!」と驚きました。隠居が大学に入学した1959年、国立大学の授業料は9,000円/年でした。(下図参照)

大学授業料の推移(サイト「年次統計」より)(クリックで拡大)

1959年当時、国立大学と私立大学の授業料差は3~4倍あったので、小生は、私立に行くことは全く考えていませんでした。なお、当時の都立高校の授業料は600円/月(7,200円/年)だったようで、これに比べると国立大学の9,000円/年は安かったと思います。隠居の高校は国立だったので、授業料は更に安く100~150円/月(1,200~1,800円/年)くらいだったと記憶しています。小生の進学プランは、家から通学出来る首都圏の国立大学が目標で、授業料はアルバイトで稼ぐ予定でした。

当時、高度成長の前だったので、アルバイトの日給は300~350円/日でした。授業料9,000円/年をバイトで稼ぐには、30日働く必要がありました。入学した年の7月頃から登校せずにバイトに専念、後期は休学してバイトを続けました。4年分の授業料が貯まったかどうか記憶が定かではありませんが、復学した後も4年間、春休み、夏休み、冬休み、にはアルバイトに精を出していました。大学の授業はあまり思い出しませんが、アルバイトとそこでお会いした人達は懐かしく思い出します。

我がアルバイトの記憶(クリックで拡大)

現在の国立大学の授業料が60万円/年、バイト代が15万/月とすると、授業料を稼ぐには4ヶ月働く必要があります。30日で間に合った隠居の時代と比べると大変な負担増のように思います。昔と違って今は給付型奨学金の制度が充実しているのかもしれませんが …………。高校の夏休み、岩切晴二の「解析精義」や「三角法精義」に夢中になったことと比べて、アルバイトに忙しかった大学時代はあまり勉強した記憶がありません。学業の面で言えば、アルバイトはあまりしない方が良いと思っています。

上図に、S区役所での保険料計算がありますが、当時の地方自治体の計算事務は、ソロバンと手回しのタイガー計算機が主でした。ところが新年度から国民健康保険制度が発足するため、区役所は奮発して、手回しではなく電動式の計算機を用意、それを使って我々アルバイトが計算業務を担当したのです。事前の見積もりでは、アルバイト一人当たり一日5百件として、4人で30日あれば6万件処理可能と見込んでいたようです。統計を見ると、当時のS区の所帯数は8万だったので、小生としては、国保対象所帯数は6万所帯以内だったと推定します。

電動計算機による処理実績ですが、4人の中では一番若い小生が約700件/日でトップでした。アルバイト中のある一日、S公会堂を借り切って職員慰労会が開催され、我々アルバイト生も招待された記憶があります。M重工の図面トレースでは、古手の係長が「君、製図はうまくないな!アルバイト中に俺が鍛えてやる。」とのことで、直々に鉛筆の選び方から、削り方、芯の形状の整え方まで教えられ鍛えられました。お陰で、クラス中で一番綺麗な図面が画けるようになりました。

アルバイトに関連して二つの流行歌を思い出します。初めてのアルバイト「塗料調合」は揮発性の溶剤を扱う作業なので、工場入口付近の半屋外が作業場でした。作業していると近所(多分ラジオ)からペギー葉山の「南国土佐を後にして」が四六時中聞こえてきました。また、港湾関係会社のスケッチ製図では、毎日、会社近くのマリンタワーの食堂で昼食をとりました。夏なのに、いつ行っても吉永小百合の「寒い朝」がBGMとして流れていたのを覚えています。

選手交代7_長傘

隠居は緊急時以外は長傘を使用しています。先日、傘をすぼめようとして傘骨がブラブラしているのに気がつきました。ジャンプ式なので、親骨と親骨を支える受骨に加えて「引線」と言う短い骨がありますが、受骨と引線を接続しているハトメが腐食して壊れたようです。考えてみると、この傘は90年代後半に購入したので四半世紀も使っています。外れた部分を観察すると、街の修理屋さんに持って行けば直りそうな気もしますが、四半世紀も使ったので選手交代させることにしました。

壊れた受骨と引線の接続部(クリックで拡大)

尤も、交代する傘も引退する傘と同じく四半世紀前に買ったものなので古いですが、未使用品なので外観は新品のようで今後10年は使えそうです。傘のブランドはOLIVERとイヴサンローランでどちらも傘地は紺色です。売り場で、どちらにするか迷ったのですが、迷ったあげく両方とも購入しました。OLIVERの方が少し安く気軽に使えたので、イヴサンローランの方はバックアップ的な存在となり、結果、OLIVERが20数年間ズーッと使われ続けました。

1990年代後半に入手した長傘二本(クリックで拡大)

長年愛用した傘なので愛着があり、なんとなく別れ難いので、廃棄する前に記念写真?を撮りました。OLIVERの方は「玉留め」が無く、口(くち)ネームバンドで親骨を束ねる方式、イヴサンローランの方は「玉留め」があり、布製の傘袋もついていてクラシックな感じです。胴ネームの留め具も、OLIVERはホック式、イヴサンローランはボタン&リング式です。後継となるイヴサンローランの方は、既に2度持ち出して使いましたが、OLIVERとは使い勝手に微妙な差を感じました。