アルバム「黒谷/吉田山散歩」考

昨年暮れ、個人的な事情でアルバム制作が中断してしまいました。そのため、アップ出来たアルバムは番外編の上記「黒谷/吉田山散歩」だけで本編の「奈良散歩」は手がついていません。番外編は、アルバムでも記しましたが、吉田山頂上付近の「逍遙の歌」歌碑が目当てだったので散歩そのものは満足していますが、逍遙の歌について気がついたことを書いておきます。

まずはYouTubeから借用した動画を見てみます。第4連冒頭に「ラインの城」の画像が登場しますが、半世紀くらい前ドイツに駐在していて、ライン下りの観光船から見た「エーレンフェルス城址」と気がついたので、とても懐かしく思いました。以前動画を見たときは気がつかなかったのです。

もう一点は、第6連の歌詞が、動画と吉田山の歌碑で違っているのです。春と秋のフレーズの位置が逆なのです。前々から動画の歌詞に一寸した違和感を持っていたのですが、今回歌碑の歌詞を見て違いを確認出来ました。
比較のために、下に吉田山の石碑に刻まれた歌詞も載せて起きます。

吉田山山頂の歌碑抜粋

大丈夫かIntel

最近、IntelのCPU劣化問題がYouTube動画や掲示板で騒がれています。インテルの13/14世代CPUを搭載したPCで、ゲームのプレイ中にシステムのクラッシュが頻繁に発生するようです。ゲームをしない小生が気がついたのは今年(2024年)に入ってからでした。IllustratorやPhotoshopを使っている時、偶にフリーズやブラック画面に遭遇するのです。大抵は数十秒で回復するのですが、原因は今話題のCPU劣化なのかもしれません。

当初インテルは、オーバークロックによる電源供給過剰とかマザーボードの設定が原因とか主張して自社の責任を認めませんでしたが、返品された Raptor Lake CPU を調査した結果、CPUに組み込まれたマイクロコードが原因で、誤って動作電圧を上昇させてしまうためCPUの劣化が進み不具合が発生したことを認めました。不具合原因がCPU本体にあることから、インテルはマイクロコードの修正と保証期間の2年間延長を発表しました。

◆BIOSの更新
8月に入って、マイクロコードの修正パッチを当てたBIOSがマザーボードメーカーから公開されました。早速ダウンロードしてBIOSアップデートを実施しました。普通、BIOSの更新は外からは見えませんが、今回は起動画面のロゴが変わったので、起動画面からも更新が確認出来ました。とは言え、0816から2503に変わったので、その間に何度かバージョンアップがあった筈で起動画面はもっと前に変わっていたかもしれません。

PC起動画面(クリックで拡大)

◆保証期間の延長
保証期間が2年間延長されたので、2022年末に購入した我がCPUの保証期限は元々の3年間に2年をプラスして、2027年末になりました。(下図)
今回のBIOS更新でCPUの劣化は止められたとしても、それ以前に蓄積された劣化は元に戻らないので、いずれそのうちにCPUの交換が必要です。

保証に関する情報(クリックで拡大)

◆ダメージを受けているかどうかのテスト
CPUが劣化しているかどうかの確認方法として、Nvidia系のグラフィックカードの「ドライバーインストール」を5~10回繰り返すと言う方法が提案されています。劣化している場合はインストールが途中で進まなくなるようです。横着者の隠居は、インストールを10回も続けるのは面倒なので先延ばししていましたが、矢張り気になるので試してみました。10回続けてインストールした結果、4回目と9回目でインストールを失敗しました。どうやら我がCPUも劣化しているようです。

なお、この劣化問題については「Intel Raptor Lake CPUの劣化問題」にもう少し詳しく記しました。

【追伸】
最近《Intelはどこで間違えた? ~2つのミスジャッジと不調の根本原因》と題した記事を読みました。「湯之上隆のナノフォーカス」と言うサイトに載っていた記事で、Intelの業績が低迷しいる原因として、過去の2つの判断ミスを挙げています。一つはAppleからの生産委託を拒否したこと、もう一つはOpenAIとの取引を成立させられなかったことです。

その結果、今やAppleからの生産委託はTSMCの売り上げの25%以上を占めることになりました。また、OpenAIがChatGPTを公開してからは、Intelの得意分野であった「データセンター向けの半導体」でNVIDIAが急成長しており、Intelは大きく水をあけられたそうです。

しかし、不振の根本的原因は、2005年~2009年に2万人のリストラを行ったことで研究開発力が低下して、2014年以降の微細化の進行が混乱したことだと記しています。そのため14nmの立ち上げが1年遅れ、更に10nmの立ち上げでは5年以上遅延することになったと書いています。
i8008の時代からIntel CPUを買っているインテルとは長い付き合いの小生、思わず「大丈夫かIntel?」と漏らしてしまいました。

選手交代5

このところ身の回りで選手交代が続いています。今回の話題はWi-Fiルーターの更新です。最近は何でも直ぐ忘れてしまうので、メモ代わりに投稿を作成している嫌いがあります。「網老雑記帳」は、タイトル下にあるように隠居の備忘録なので、メモ代わりでも結構と思うことにしています。

ルーター交換

マンションのインターネット事情は共有端末(ONU)から各戸にケーブルが敷かれていて、スマホを持つまではWi-Fiルーターの必要を感じなかったのですが、能登半島を歩いた時、公衆電話が見つからずタクシー会社との連絡に苦労したことから、次の鹿児島散歩の直前に格安スマホを入手、業者からSIMが届くまで1週間はPCのWi-Fi機能を使ってスマホをインターネットに接続していました。

2017年の鹿児島旅行の後、漸くWi-Fiルーターを入手しました。WSR-2533DHP-CBは未だ6年しか使っていませんし、隠居の利用環境では性能的にも特段の不満は感じませんが、2019年に登場したWi-Fi6規格に対応したルーターも各社から出揃ったことでもあり、世の中の進歩も体験したく機種を更新してみました。

購入したWSR-6000AX8P-MBは、Wi-Fi6対応機で、2.4GHz帯と5GHz帯に対応しています。市場にはこれとは別に2.4GHz帯と5GHz帯に加えて6GHz帯にも対応するWi-Fi6E対応ルーターもあります。Wi-Fi6E対応機は未だ高価格なので、今回はWi-Fi6対応機を選択しました。

1日の始まり

「チコちゃんに叱られる!」と言うTV番組があります。小生の入浴タイムと重なるのであまり見てないのですが、偶々年末スペシャルで「クリスマスイブ」が取り上げられたのを見る機会がありました。「クリスマスの前夜」は不正解で「クリスマス当日の晩」が正解だと言うのです。その理由は昔の西洋では「一日の始まりは日没」だったので「クリスマスの前夜」でなく「クリスマス当日の夜」なのだそうです。

西欧人の「一日の始まりは日没」に対して、日本人は「一日の始まりは夜明け」と言う感覚です。江戸時代、暦の上では「真夜中」を1日の区切りとしていましたが、人々は、明六つ(夜明)が1日の始まりと意識していたようです。従って、西欧人の「今晩」は日本人にとっては「昨晩」と言うことになります。とは言え、日本人は真夜中を過ぎた「夜の部分」を昨晩と呼ぶのに抵抗があったのか、真夜中から夜明けの間を「未明」とか「明け方」とかで多少曖昧に表現しています。

正解を聞いて「うわー!」と思いました。
長年の疑問が解消したのです。昔、ドイツに長期出張した時、ドイツ語学校の2ヶ月コースが終わって、プリーンからパッサウに移動する車中でのことでした。

プリーン→パッサウ鉄道ルート

コンパートメントの向の席の女性が「今日の夜、中国で大きな地震があった。」と言うのです。小生は「今日の夜」を「今晩」と取ってしまったので、過去形の表現に悩んでしまい、その場では、午前0時から日の出までを「今日の夜」と表現したのだと解釈しました。しかし、一日の始まりが「日没」ならば、何の問題もありません。ドイツ人の「今晩」は我々日本人の「昨晩」なのです。

コンパートメントで同席した女性3人組

因みに、国立天文台のサイトを見ると、現在の「常用時」は正子(真夜中の12時)から正子までとしています。これに対して、天文学の分野では、天体観測中に日付が変わるのは不便なので、プトレマイオスは正午(昼の12時)から正午までを1日としました。天文学の分野で正子から正子を1日とするようになったのは、1925年1月1日からです。現在でもイスラム暦やユダヤ歴では日の入りを1日の始まりとしているそうです。

ところで、この時話題になった地震は唐山地震で、1976年7月28日3時42分(現地時間)に中華人民共和国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュード7.5の直下型地震でした。死者数は中国発表で約25万、アメリカの地質調査所の推計では65.5万人となっています。この日、この地震よりもビックリしたのは、ミュンヘンのホテルに入ってTVを点けた瞬間「角栄氏」の顔が大きく映し出されたことでした。角栄逮捕のニュースでした。驚き過ぎてTV画面を撮り漏らしました。

PC画面が突如拡大

11月18日(日曜日)、パソコンを起動して最初にメーラー(Becky!)を立ち上げたところメールリストも本文もとても良く見えましたが、何となく違和感がありました。衰えた視力がそう簡単に回復するはずもないので、落ち着いてよく見るとBecky!のウィンドウがディスプレイからはみ出しそうです。念のためEdgeを起動すると、こちらは27型のディスプレイの表示幅に迫るくらい幅が広がっています。

「設定 → システム → ディスプレイ」で見ると「表示スケール」は100%です。しかし、実際は125%くらいに拡大して見えます。小さい文字を使ったサイトを見る時にEdgeの拡大機能を使うことはありますが、それとは違ってアプリのウィンドウやタスクバーのアイコン等ディスプレイ上の全てが拡大されています。新しいビデオカードの使い始めでドライバーが未だインストールされていな時と似ています。

ディスプレイの設定で「解像度」を見ると、1600×1200になっています。解像度を上げようとしたのですが、それより大きな解像度の選択肢がありません。デバイスマネージャーでディスプレイアダプターのプロパティを見ると「このデバイスは正常に動作しています。」と表示されます。「解像度の変更」が出来ないので、やむなくドライバーを更新することにしました。

ドライバー更新前後の解像度設定画面(クリックで拡大)

パソコンの自作を趣味として四半世紀、昔はデバイスマネージャーを頻繁に利用しましたが、最近は殆ど使いません。ドライバーの更新も久しくご無沙汰してました。

ビデオカード(GTX1070)のドライバー更新(クリックで拡大)

上の図の赤枠内の「ドライバーの更新」をクリックすると、自動的に更新してくれます。昔はドライバーの保存場所等を入力する必要がありましたが、今はただ待つだけです。更新後の「ディスプレイの設定(前々掲)」を見ると、解像度のダウンドロップリストには「2560×1440」が表示されています。めでたしめでたしと言いたいところですが、トラブル発生の原因が不明なので「めでたさも中くらい」です。

カバン考

散歩は手ブラが一番と思っていますが、隠居の散歩には、鼻水に備えてティッシュ、俄雨に備えて折りたたみ傘、と言った形で荷物が増えます。そこで何年か前に散歩用の小さなショルダーバッグ(兼ベルトポーチ)を入手しました。

傘以外は大した容量ではありませんが、薄着になる季節はどうしてもポケットに収容しきれません。更に、この4月からはスマホが荷物の仲間入りをしたので、これまでの超小型のバッグでは間に合わなくなりました。

暫くは不自由を我慢していたのですが、漸く決心、ネットや店頭を見て回った結果、同一銘柄の一回り大きいバッグを購入しました。写真で見るとあまり変わりないようですが、重さが5割増え、収容力は倍増しました。

ショルダーバッグの買増

隠居の散歩用ショルダーバッグの序でに、これまで使ったカバンについて考えてみました。記憶に残っているのは、学生時代の数少ないカバンと今もクローゼットに居座るサラリーマン時代後半のカバンです。サラリーマン時代の前半のカバンは大半はあまり特徴が無く残念ながら思い出せません。

◆学生時代のカバン
人生最初のカバンは小学校時代のランドセルです。入学が昭和22年だったのであらゆる物資が欠乏しており粗末な帆布製のランドセルでした。
生地は米軍払い下げと思われるアーミーグリーンの厚手のキャンバス地で、クラスの大半が同じランドセルでした。

年に2~3度しか使わないリュックサックも似たような素材で、コストを抑えるためか、飾りやポケットなどが最小限の冴えない造りでした。6年生くらいになると生意気になって、上記ランドセルは使わず、代わりに風呂敷を使っていたような記憶があります。

中学に入ると、斜めがけのショルダーバッグを使いました。白いキャンバス地を使ったもので、殆どの男子生徒がショルダーバッグでしたが、ズックの手提げカバンも2~3人いました。女生徒はどうだったか記憶が曖昧ですが、男子とは逆に大半が手提げカバンだったような気がします。

中学時代のショルダー(写真はアマゾンサイトから借用)

高校に入った時、革の学生カバンを買って貰いました。もはや戦後ではないと言われ出して、家計の苦しい我が家でも革のカバンが買えたようです。大学時代の前半も高校時代の手提げカバンを使いましたが、後半はあまり授業に出なかったので、通学は手ぶらか風呂敷だったような気がします。

高校~大学の学生カバン(写真はネットから借用)

◆サラリーマン時代
サラリーマンになり立ての頃は自分のカバンを持っていませんでした。初めての遠地出張の時、同行する先輩が「ファイルは俺が持って行くから」と言う言葉に甘え、夜行日帰りで着替えも不要だったのでカバンを持たず手ぶらで出掛けました。

先輩に「お前、手ぶらか!」と呆れられた思い出があります。この時、空っぽのカバンでもいいから格好づけに持って行くことがサラリーマンの心得と悟りました。それ以降、出張の際は親父のカバンを借りることにしました。

一応サラリーマンなのでいつまでも借用と言うわけにも行かず、安物のボストンバッグやブリーフケースを手に入れたのですが、未だ好みが確立してなかったことや、安物だったこともあって気軽に買い換えていました。そのためどんなカバンだったか思い出せません。

30代の中頃にドイツへ長期出張した時、出張の支度金でサムソナイトのスーツケースを購入しました。30Kgタイプで当時としては最新の電子錠が付いていました。同時に下の写真のようなハードアタッシュケースも購入してドイツ滞在中の通勤用に使いました。こちらは日本のエース社製で人工皮革の安物です。

ドイツでの通勤用ハードアタッシュケース

ドイツから帰国する時、空港の売店で遭遇したのがオファーマンの革製品でした。気に入ったのですが、当時は未だカードを持っておらず、手元の現金では足りないのでパスしました。帰国後、10年くらい経って、漸くオファーマンの製品を手に入れました。(下図)

左からアタッシェケース、ブリーフケース、ボストンバッグ

バッグ三兄弟だけでなく、財布・名刺入れ・定期入れ等の小物類もオファーマンで揃えました。但し、全部がオファーマンとはゆかず、ゴールドファイル製品も何点か使っていました。3年前の投稿に登場する「キーケース」もゴールドファイル製でしたが、生産終了になっていて更新出来ず、ドイツのゴールドヘッド製に買い換えました。

50代中頃、シンガポール・マレーシアに頻繁に出張したので小型のキャリーバッグを購入しました。これも退職後は押し入れの肥やしでしたが、一度だけ入院時の身の回り品運搬と病室での貴重品保管に使って重宝しました。ただ、10数回の海外出張で酷使されたせいか押し入れで眠っている間にプラスチックの取っ手が劣化して壊れてしまい処分しました。

◆退職後
自慢のオファーマン三兄弟も出番が無くなってクローゼットの肥やしに身を窶しています。それでも右端のボストンバッグは年に2~3回の遠出の旅行の際、着替えを入れて持ち出しています。カメラバッグと着替えをキャリーバッグにまとめた方が楽ですが、ズルズルと使い続けています。

オファーマン三兄弟のアタッシェケースとブリーフケースは、数年前にマンションを買い換える時、契約書や権利書を入れて持ち運ぶのに使いましたが、出番はその時だけでその後はクローゼットでホコリを被っています。この先出番は無さそうなので廃却してもよいのですが、愛着があって捨てられません。

クローゼットの肥やしと言えば、退職後に写真を始めた為に入手したデジタル一眼用のカメラバッグがあります。カメラの機種の変遷にあわせて、バッグもAPS-Cサイズ用、1型ミラーレス用、フルサイズ用、と3点ありますが、今はAPS-Cサイズを使っています。

以上