チワワ太平洋鉄道

土曜日のドライブに続いて、日曜日はメキシコの鉄道の旅を体験すべくF氏と計画を練った。ガイドブックには、カッパーキャニオンがグランドキャニオンに勝るとも劣らないと紹介されていた。チワワ太平洋鉄道の途中駅ディビサデーロに設けられた展望台から見物出来ると書いてあるので、チワワとディビサデーロの間を日帰りで往復することにした。

内陸のチワワと海岸のロスモチス間は、毎日1等列車と2等列車がそれぞれ上 下合わせて2本、合計4本運行されている。我々のプランはディビサデーロ駅でカッパーキャニオンを見物し、チワワ行きの列車で戻れば日帰り可能と考え、フ ロントに聞くと、 ディビサデーロで約1時間の余裕があるとのことだった。

チワワ太平洋鉄道路線図

ネットで路線図を調べていたら、沿線の標高を示すグラフがあったので参考までに、載せておく。クリールやディビサデーロは2.500m近い高地である。

チワワ太平洋鉄道沿線標高図

計画は出来たが、F氏も小生もスペイン語の問題があるので、通訳のAさんを誘ってみた。「日曜日は通訳の仕事も無いので同行します」と快諾してくれた。ところが、土曜日にクアウテモックから帰ると、Aさんが申し訳なさそうに「明日は行けません」と言う。 「我々の日帰り計画」を聞いた団長からダメが出たらしい。

現地でJICAに雇われている通訳の立場を考えて、無理に連れて行くこともならず了解した。団長は我々も行かせたくなかったようだが、スケジュール上はフリーなので中止を命じられなかったようだ。一寸困ったがF氏と小生の二人だけで決行することにした。 これまでも言葉が通じない場面に何度か遭遇しているので、何とかなると楽観していた。

日曜日の早朝、7時発の列車に乗るため開発会社の車でチワワ駅に向かった。早速ここで言葉の問題が生じた。切符売り場でディビサデ ーロまでの往復切符を売ってくれないのである。発車時刻が迫っているので、前日行って地名を記憶していたクアウテモックまでデラックス車の片道券を購入して乗車した。

駅まで送ってきてくれた運転手さん(昨日の運転手U氏とは別の人)に「夕方何時に迎えに来ましょうか?」と聞かれたが、乗車券の問題があって何時になるか分からないので「タクシーを使うから結構です」と迎えを断った。運転手さんは日曜日の夕方の勤務がキャンセルされたのでホッとしたようだった。

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デラックス車で提供された朝食

◆時刻表の謎
我々が乗る1等列車には1輛だけデラックス車輛が連結されていた。JRのグリーン車のようなもので、朝食付きだった。

朝食を食べていると、車掌が回って来たので、切符の話をすると、窓口と同様に車掌も「戻りの切符は売れません」と言った。(- – ようだった。 )

スペイン語が分からず困っていると、斜め後ろの席のアメリカ人が声を掛けてきた。彼は「我が日帰りプラン」 と「帰りの切符」について我がブロークン英語を辛抱強く聞いてくれた。何とか大筋を理解したらしく「メキシコ人の家内に通訳して貰いましょう」と言い、奥さんに通訳するよう頼んでくれた。

親切な米国人とその奥さんの二段階通訳で漸く「切符を売れない理由」が分かった。時刻表が変わったので 、ディビサデ ーロまで行くと戻りの列車に間に合わないとのことだった。フロントの時刻表が古かったようだ。次善策としてディビサデーロに出来るだけ近く、戻りの列車に間に合う駅まで乗りたいと伝えた。

車掌はまた渋い顔をして「ダメです。列車はありますが全部2等車で安全上外国人にはお薦め出来ません」と言う。しかし、我々は今日中にチワワに戻る必要があるので「2等車でも構わない」と言い張った。車掌は「帰りの切符は駅で購入して下さい」と言いながら、渋々乗り越しの精算だけしてくれた。

ネットで最近の時刻表を調べてみた。1等列車は6時発に変わり、所要時間も短くなっている。1989年1月22日、我々が下車した駅はクリールと思われる。チワワ出発が7時で今より所要時間が長かったことを勘案すると、クリール到着は午後1時過ぎだったと思われる。計画挫折の遠因となったフロントの古い時刻表が恨めしい。

その後の時刻表

今回、WordPress用に書き直した序でに最近の時刻表を調べたら、下表のようにディビサデーロの駅でⅠ時間以上の余裕があり思わず「ウーン!」と唸ってしまった。とは言え、所要時間は長くなっているので現実の運行実績を勘案したのかもしれない。この時刻表なら観光客はユックリ泊まって見物するか、1時間の駆け足見物で済ませるか選択出来る。

最近の時刻表(2015年8月)
最近の時刻表(2015年8月)

◆民俗学講座に辟易
取り敢えず、懸案の乗車券問題が片づいてホッとしたので、残りの朝食を片付けた。食事を終えて、親切なご夫妻にお礼を言った。旦那さんの方は物静かな学者タイプで 、分厚いメキシコの民俗学の(ような)本を手にしていた。本を開いて見せながら、この地域に住む原住民の「お産」について延々と語り始めた。

小生の英語力ではついて行けず困惑したが、お世話になっているので適当に相槌を打ちながら話題の転換を考えた。話が一寸途切れた隙に、カメラを出して「お二人の写真を撮らせてくれませんか?」と頼んだ。席を立ってシャッターを押し、そのまま車内の撮影に移ったので「民俗学講座」は終了した。

カメラを持って通路を歩いてみた。全車1等なので乗客の大部分は裕福なメキシコ人のようだ。食堂車を覗くと、食事後のコーヒーを飲んでいたメキシコ人が手招きする。陽気な性格でカメラを向けると、逆に我も我もと言った感じだったが、フィルムの残り枚数も気になるので適当に切り上げた。

ホテルで貰ったパンフレットによると沿線には森林地帯があると出ていた。木工技術担当のF氏は、その森林地帯を撮影したいのだが森林が見えないと言って零していた。改めて18年前の写真を見ると樹木も写っていた。モンスーン地帯で鬱蒼とした樹木に覆われている日本の森林とは概念が違うのかもしれない。

列車が停車すると窓の下に「物売り」が来た。小学生くらいの子供で身なりは貧しい。持っている「商品」も、写真のように缶入りコーラ3本とジュース1本と言うように僅かである。小生は衛生状態が気になって買わなかったが、F氏は不憫に思ったかコーラを買った。密閉されているから大丈夫と言う。

◆A4版の乗車券
下車駅に到着したので親切なご夫妻にサヨナラを言って降りた。駅の周辺には期待していた断崖はありそうもない。残念ながらカッパーキャニオンからは離れているようだった。 懸案事項が一つ残っていた。帰りの乗車券を購入しなければならないのである。ところが、駅舎はあっても何処にも切符売り場や窓口が見あたらない。

駅舎をグルッと回ってみた。窓口らしいものが1ヶ所あったが、閉鎖されていてとても切符を売る雰囲気ではない。やむを得ず駅長事務室のような部屋を覗くと数人の 私服の男が雑談していた。小生とF氏が入って行くとビクッとしていた。小生が「チワワ行きの乗車券を買いたい」と言うと、面倒そうな顔付きをした。

朝からの経緯を説明して「今日、チワワに戻る」必要性を強調した。駅員は何処かに電話して了解を取った上で、漸く乗車券の発行を OK してくれた。料金を払うと、駅員は白いA4の用紙をタイプライターにセットして、列車名・発駅名・発車時間・行き先等を打ち込んだ。それが帰りの乗車券だった。

◆昼食はバナナ
昼食を食べるため駅前に出たが人通りが無くそれらしい店も無い。食料品を売っている店が1軒あったので声を掛けたが幾ら呼んでも誰も出てこない。シエスタだったようだ。 何だか凄い田舎に来てしまったと思いつつ諦めて駅に戻った。後日、クリールには幾つか観光スポットがあることを知った。そのうちの一ヶ所位なら見物できたかもしれないと悔やんだ。

駅の構内をウロウロして写真を撮っていたら、片隅で少年が木箱の上に商品を載せて売っていた。売り物は埃を被ったコーラ3本とバナナが4本だった。空腹には勝てず 、F氏流の衛生観念を採用して全商品を買い占めた。待合室が無いので、二人で陽の当たる階段に腰掛けてバナナとコーラの昼食を取った。

チワワ行きの2等列車は混んでいたが、F氏と小生は少し離れた席を確保した。あるいは指定席を取っていたかもしれないが覚えていない。車掌や駅員から「車内では用心して下さい」と言われていたのでビクビクしていたが、特に物騒なことは起らず無事チワワ駅に到着し正直ヤレヤレと思った。カッパーキャニオン見物はダメだったが、公用出張先のメキシコで列車旅行が出来たのは良い思い出になった。

駅前でタクシーに乗った。乗る前に値段の交渉をしたのだが、運転手は途中の暗い寂しい路上で停車して「料金を倍にして欲しい」と言い出した。F氏は払いましょうと言ったが、この手の 交渉はイタリアやギリシャで何度か経験済みの小生は払うつもりはなく、同じ主張を繰り返して頑として譲らなかった。運転手の方が根負けして再び走り出した。

◆ミニアルバム(クリックで拡大・移動)