チワワ事前調査

チワワと聞けば、大抵の人がペットの小型犬を思い浮かべる。出張の話を聞いた時、小生はチワワがメキシコの地名だと言うことは知っていたが、チワワがメキシコのどの辺にあるのかは知らなかった。出張が決まってから生まれて初めて真面目にメキシコの地図を見た。しかし、地図上で位置は分かったがどんな街かは想像出来なかった。

メキシコシティからチワワへ の移動はメキシコ航空AM210便だった。夕方のフライトで満員だった。機中のことは殆ど記憶に無いが、機内食で出たステーキに添えられた生野菜をウッカリ食べてしまったことは20年後の今も覚えている。水と生ものは注意していたのに、疲れていたため緊張感が途切れて油断したようだった。

メキシコシティからチワワへ

調査団の受け入れ窓口はチワワの土地開発会社(Promotora de la Industria Chihuahuense)で、チワワ空港には開発会社の車が待っていた。 Hotel Castel Sicomoro のフロントではクレジットカードの提示を求められたが、メキシコのセキュリティを心配しているのか誰もカードを出さない。本来は団長か直属部下のY氏が出すべきと思うが、やむを得ず小生が提示した。

翌朝、ホテルの会議室で現地の関係者と調査団員の顔合わせを兼ねた朝食会が催された。朝食会となると通訳と言う訳にもいかず、スペイン語は勿論、英語も怪しい小生は内心弱った。幸い隣に座ったイタリア系の方がドイツ語を話すと言うので、我が錆び付いたドイツ語で何とか朝食会を乗り切った。朝食会の後、州知事を表敬訪問するためチワワ州政庁に向かう。

政庁の知事室前には報道関係者が詰めかけていた。 知事の名刺は急遽我々のために作ったのか「肩書きと名前(フェルナンド バンサ)」だけが印刷されていた。名刺交換の後、知事とS団長がそれぞれ儀礼的なスピーチをした。知事の挨拶は日本語に通訳されたが、通訳の声が低いので難聴気味の小生にはよく聞き取れなかった。翌日、地元紙に調査団の知事表敬訪問に関する記事が載っていたが、 記事はスペイン語なので写真だけチラッと見た。

州政庁から工業団地内に移り、Promotora de la Industria Chihuahuense の事務所で調査内容とスケジュールの確認をした。日本を発つ前に予め質問事項を送っておいたのだが、 回答が不十分なのでスケジュールを調整して、現地企業を集めた直接聞き取り調査を急遽実施することにした。

チワワ中心街

工場見学はチワワ側の計画通りに “機械加工”、”電子機器加工”、及び “木工加工” の3工場を訪問した。技術センターの設置予定やチワワ工科大学の教室棟等も見学した。調査を進めて行くにつれ、現地企業の現状と「高度技術センター」への要求水準とに乖離があるように思われた。チワワ側が用意した3工場の見学では「高度技術センター」の必要度が分かり難くかった。そこでチワワ側が準備した工場とは別にTと言う日系の現地法人を追加して貰った。T社の幹部に率直な意見を求めると、高度技術センターの必要性については否定的だった。

チワワ州の北部にあるシウダーファレスは米国に隣接した地の利を生かして企業誘致が順調に進んでいるらしかったが、州都チワワの工業団地は苦戦しているようだった。苦戦しているチワワにとって、”高度技術センター” は企業誘致の有力な武器なので “高度” の冠に拘っていると思われた。一方、日本側にも通産省の案件なので ”高度” を外せないと言うお家の事情があるので方向は一致していた。しかし、事前調査の結果は現地企業がそれ程 “高度” を必要としていないことを示していた。

チワワ州全図

技術専門家として参加した我々は、そうした事情を勘案した上で受け入れ可能な提案を作成する必要があった。事前調査の結果を「議事録(=覚え書き)」としてまとめたのだが、日本側の提案とメキシコ側の要望にズレがあってなかなか合意に達しなかった。 日墨双方が事業計画の中止は避けたかったので、最終日は終日協議を続行し午後7時頃、漸く合意に達して議事録が完成した。

署名の交換はメキシコシティのJICA事務所で行われたが、会議の途中、小生は「モクテスマ王の復讐」を受けてしまった。会議を中座した小生は所長専用の「個室」で悪戦苦闘、手を洗って出て来た時は既に別れの挨拶になっていた。 署名の交換は儀式のようなものだが、会議を中座したためか議事録の発効については記憶がイマイチ曖昧である。 

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