初めてのドイツ国鉄

記念すべきドイツ第1日目の泊まりはエルランゲンの「ホテル・バイエリッシャーホフ」だった。朝食はホテルの食堂で取ったはずだが、まるで記憶にない。 歩いて行ける距離だが大きな荷物があるのでタクシーでエルランゲン駅へ向かう。ドイツ語学校のあるプリーンまでドイツ国鉄を利用する。 初めてなので、途中のニュルンベルクとミュンヘンでの乗り換えが気懸かりだった。

エルランゲン駅

エルランゲン駅はよく利用したのだがその外観の記憶は殆ど無い。ネット上にあった上の写真を見ても、こんな感じだったかなと言う程度で、ハッキリしない。朝のエルランゲン駅は混雑していたが、前夜、ホテルに戻る前に駐在員C氏に案内して貰って、切符売り場などを下見していたので、迷わず出札窓口に向かった。ドイツ語教材には、主人公が乗車券と急行券を買うシーンがあって何度も練習済みだったので、落ち着いて行き先と片道であることを告げた。

ところが、現実の世界はシナリオ通りには行かず、予期しない展開となった。駅員は「50km以上乗車の場合は急行券は不要です。」 と言って乗車券だけを寄こした。当方は「- – – – 不要」の部分が聞き取れず、期待した「急行券」が出てこないので、何度も聞き返す羽目になった。 こうしてドイツ国鉄初体験は冷や汗のシーンから始まった。

結局、駅員の説明は理解出来なかったが「まあ何とかなるだろう」と乗車券だけ受け取ってホームに出た。エルランゲン駅は小さな駅で急行は停まらないのでニュルンベルクまでは普通か準急で行く。切符を買うのに苦戦したが、何とか列車に乗り込んだ。席に着くと早速、サンペイさんの「スマートな日本人」に倣い、「プリーン」に行くことを周囲の人に話した。親切な乗客がニュルンベルクでの乗り換えについて説明してくれた。

ニュルンベルク駅

親切な乗客の説明は殆ど聞き取れなかったが、乗り換えで迷うことは無かった。ニュルンベルク駅は終着駅形式ではなく通過駅形式だった。ホーム間の移動は地下道なので、重い旅行鞄(30Kg)を持って階段を上り下りするのはひと苦労だった。ニュルンベルクからは急行に乗り込み、席に付くと、馬鹿の一つ覚えの「プリーンへ行く」と吹聴する“安全策”を実行した。

今度も周囲の人が「プリーンへ行くのか?それならミュンヘンでザルツブルク行きに乗り換える。」と教えてくれた。ミュンヘン駅は終着駅形式で、下の写真のように各ホームは同一フロアーでつながっているので、ニュルンベルク駅と違って力仕事不要であった。列車がミュンヘン駅に着くと、同じ列車に乗っていた年配の婦人が、多分、小生のたどたどしいドイツ語を心配したのか、幾ら断っても小生の乗る列車まで付いて行くと言い張った。

ミュンヘン駅構内
ミュンヘン駅構内

折角の親切を無にする訳にも行かず、こちらが面倒を見なければと思うような老夫人に付き添われて、駅の端から端まで移動した。老婦人は車両の行き先を確認した後も窓の側に立ち続け、小生が乗り込んで荷物を網棚に載せて席に付き、ガラス越しに感謝の合図を送ると安心したように離れて行った。

老婦人と構内を移動する途中で屋台を見掛けていたので、親切な老婦人が立ち去るのを待って、荷物を網棚に置いたまま、駅の中央に戻り、屋台のソーセージとパンで昼食を済ませた。急いで列車に戻りかけたところ、通路で時刻表を売っていた。6月から夏時間になるので、臨時の売り場が設けられていた。当時のドイツ国鉄の全国版時刻表は、一冊モノでかなり厚く重かった。

重い旅行鞄を持て余していた小生は購入を躊躇った。取り敢えず、軽くて安いバイエルン版を購入したが、直ぐにバイエルンだけのローカル版では不便を感じるようになった。その後は、時刻表の新版が発行される度に全国版を購入した。帰国する時、記念に持ち帰りたかったのだが、重いので断念した。

エルランゲンからプリーンへ
エルランゲンからプリーンへ

ところで、ドイツは国土全体が平坦で、鉄道路線が網の目のように入り組んでいる。ニュルンベルクーミュンヘン間も、アウグスブルク経由、インゴルシュタット経由、レーゲンスブルク経由の3路線ある。メインの路線はアウグスブルク経由とインゴルシュタット経由で、乗り換え無しの直通列車である。その後数ヶ月間、小生は2路線あるのに気づかず乗っていた。毎回、何となくおかしいなと言う違和感があった。

ある時、ベッドに寝転んで時刻表を眺めていて、経路が2つあることに気が付いた 。違和感の原因は、車窓から見える景色の違いだったのか、途中駅の名前だったのか、覚えていないが、違和感は払拭出来た。上の地図ではインゴルシュタット経由を表示しているが、初めて乗ったこの日は、目的地に着くことだけに気を取られ、経路まで気にする余裕は無く、どちらを通ったのか分からないのが一寸残念である。

EP005d

 

列車がプリーンに近づいた時、若い学生が恐る恐る声を掛けてきた。小生の怪訝な様子を見て、濃紺のスーツに白のワイシャツと臙脂のネクタイと言う服装が印象的なので声を掛けたと言う。日本のサラリーマンの定番だが、ラフなスタイルの多いドイツでは目立ち過ぎたようだ。二言三言話しているうちに列車がプリーン駅に着いた。到着時間は覚えていないが未だ日の高い時間である。

改札口が無くホームと道路が直結したようなドイツの駅に未だ慣れていなかったので多少の違和感を持ちつつ駅前広場に出た。午後の陽を浴びたプリーンの駅舎は印象的だった。日本の駅と違って普通の民家のような外観だった。何事も無く無事に着いたのでホッとした。ホテルの位置は、先ほどの学生さんから聞いていた。と言っても、我がドイツ語ではよく理解出来なかったのだが、大凡の見当を付けて歩き始めた。