フランクフルト

ハイデルベルク&フランクフルト駆け足旅行
ハイデルベルク&フランクフルト駆け足旅行

カールスルーエの工場に出張していた週末、ハイデルベルクとフランクフルトの見物に行くことにした。ホテルで目が覚めた時、何となく体調が優れなかったが、ショルダーバックにカメラと折りたたみの傘を入れて、ホテルを出た。この機会を逃すと次の機会が何時になるか分からなかったので、予定通り決行することにした。

午前中はハイデルベルク見物に費やし、午後から翌日の日曜日はフランクフルト見物を予定していた。以前は内容が少ないのでハイデルベルクとフランクフルトを同じページに載せていたが、今回は別々のページに分けて載せることにした。

ハイデルベルク滞在中、一寸怠い感じだったが、フランクフルトに到着した頃から体調の異常が顕在化してきた。最初に喉がおかしくなった。街中を歩いているうちに、ハッキリ体調の異常を意識した。

正確なことは覚えていないが、それでもゲーテハウスからレーマー(旧市庁舎)、大聖堂等を見て、マイン川の川岸に出たようだが、殆ど写真を撮っていない。この日はかなり参っていてフランクフルトに泊まらずカールスルー エに引き返した。

フランクフルトから戻って、翌日の日曜日はカールスルーエのホテルで休養に専念した。お陰で調査の方は休まずに続けられた。とは言え数日間、机の上にティッシュの山を築きながらの苦行となった。

聞き手の小生が頻繁にティッシュを使うので、対応相手も内心は不快だったと思うが、この辺の対応は「これは仕事だ。」と割り切っていたようだ。

 

◆フランクフルト広域図
初めて日本からドイツに来た時に乗ったルフトハンザ機は第一着陸予定地のハンブルクが天候不良のため着陸せずにフランクフルトに直行した。ハンブルクをスキップしたので予定よりも早く到着して、ニュルンベルク行きの便に搭乗するまで空港内で時間を潰すのに苦労した記憶がある。その後、フランクフルト空港は乗り継ぎで何度も利用したが、街のどの辺にあるのか確認していなかった。今回、ページをWordPress 向きに編集する序でに、空港と駅とシーメンスの工場の関係位置を下のマップで確認した。

フランクフルト広域図(空港・駅・工場の関係位置)

◆フランクルト中心街
上の地図に示された赤点線エリアを拡大したのが下の地図で、小生の調査対象の工場は中心街から外れるが参考のために載せてある。ただ、フランクフルトの街の記憶が薄くて、グーグルのストリートビューで工場を見てもあまり思い出せないのが一寸残念である。

フランクフルト中心街

◆奇遇
駆け足旅行から2ヶ月後に遮断器工場の調査で、フランクフルトに10日ほど滞在した。この時はフランクフルトの街を随分歩き回った。レストランの場所や名前はすっかり忘れているが、週末に日本レストランに行くため最寄りのバス停でバスを降りた時、関西の某私大の助教授S氏に遇った。S氏とは昨年の夏パッサウのドイツ語学校で一緒だった。一緒にウィーン見物に行ったり、パッサウの飲み屋さんで給仕の女性と写真を撮ったりした。

あまりの奇遇にビックリしたが、聞くと、近くに住んでいると言う。どんな処か見たいと言うと連れて行ってくれた。外国人向けの安いアパートの屋根裏部屋のような部屋であった。大学から支給される滞在費は不明だが、かなり倹約した生活が想像された。S氏を日本レストランに招待して、久し振りの日本食と日本語会話を楽しんだ。フランクフルトには日本の食材を売る店もあり、何度か行ったのだが、その場所も名前も思い出せない。

なお、遮断器工場の調査の出張ではカメラを持参しなかったようで写真を撮っていない。元々工場内の撮影は禁止なので、カメラは観光用に持参していたのだが、フランクフルトには持参しなかった。従って、フランクフルトの写真は「駈け足旅行」の体調異常時に撮った下記の4枚だけである。ポンペイの時と同じように古いアルバムには写真の代わりに絵葉書が1枚貼ってあった。