ドイツ語研修・概要

40年前、生産ラインへのコンピュータの導入について調査するため約1年半の予定で西独(当時)に出張することになった。生まれて初めての海外生活であり、好奇心と不安を抱えつつ渡欧の準備をした。仕事以外の準備としては、 出発前のヶ月間、渋谷にあった欧日協会ドイツ語会話コースに週2回通った。残念ながら気ばかり焦ってあまり成果は無かったが、先生がドイツ人だったのでドイツ人に慣れると言う効用はあった。

ドイツ語会話には自信が無かったので、ゲーテインスティチュートのプリーンで2ヶ月コース、パッサウで1ヶ月コースを履修することにして、エルランゲンの駐在員事務所に予約を依頼した。出発が近付いて担当のS常務に挨拶に行ったら「君な、ドイツ語学校なんか3ヶ月も4ヶ月も行く必要ないよ。俺は1ヶ月で飛び出したよ。」と言われてしまった。その場では「期間については現地で判断させて下さい。」と答えておいたが、予定を変えるつもりは無かった。

当時、ゲーテインスティチュートはドイツ各地20数ヶ所あったと思うが、プリーンは大都市ミュンヘンに近く、静かな保養地であり、これまでドイツへ派遣された先輩方が誰も行ってないと聞いたのでプリーンに決めた。2ヶ月で不足の場合に備えて、1ヶ月コースを加えることにしたが、1ヶ月コースが設けられている学校は限定されていて、19768月に1ヶ月コースがあったのはバイエルンエリアではパッサウだけだった。

ゲーテインスティチュートの3ヶ月間、研修を補填すると称してアチコチ小旅行して楽しんだが、プリーンの最初の1ヶ月は厳しい授業が続きストレスが溜まる一方だった。小生の他にクラスに二人いた日本人は厳しい授業について行けず別のクラスに移ってしまった。小生も逃げ出したかったが、日本人が全滅と言うのも悔しいし、移る先の教室が既に満杯だったので我慢した。ところが1ヶ月後に担当教官が替わり、授業の進め方が変わったのでストレスはかなり緩和された。

ドイツ語研修時の旅(メインメニューからも開きます。)