ツークシュピッツェから帰る車の中で、ヨーロッパの高速道路にも慣れたので週末にイタリアまで行こうと言うことになった。聖体祭の翌々日が土曜日なので、土日を使った一泊二日の旅である。カブト虫のドライブとしては、かなりキツイ日程だったが、ヴェネツィアへは行ってみたいと思っていたので予習・復習は棚上げして参加することにした。
前回と同じようにK氏のカブト虫がホテルキーム湖まで迎えに来てくれた。車に近づいてビックリ、今回は髭もじゃのアラブ系Z氏が飛び入り参加していた。小生が乗る前にカブト虫は満員だったが、後部座席に3人詰め込むと言う。30代半ばの小生が、今回も最年長者の特権で助手席を占有することになった。
インスブルックは人口12万の小振りな街だが 、日本と違って人口が分散している欧州では大都市である。冬季五輪は2回開催されており、二回目はこの年(1976年)の2月だったので、名前だけはよく知っていた。スキーの勉強に来ているO君はプリーンに来るまでこの街に住んでいたと言う。「下宿していた家に寄って小母さんに挨拶したい。昼飯をご馳走してくれるかも」と言うので寄り道をした。

突然五人も押しかけて食事が出ると思うのは無理な話だが、その時は同行者は皆そんな気になって「ご馳走を期待して」寄り道に同意した。下宿の小母さんはコーヒーで歓待してくれ た。暫く雑談していたが、食事は出そうもないので失礼した。先を急ぐので街の見物は駆け足だった。結局、インスブルックの街は車からチラリと見ただけなので、あまり記憶に残っていない。
有名な「黄金の小屋根」は車を降りて、遠くから写真を撮っただけだった。O君が街全体を見渡せる丘があると言うのでそこへ行くことにした。天気が良かったので、丘の上からの眺めは素晴らしかった。その丘の上のテラスでお茶を飲んだ。昼食も取ったはずだがハッキリ覚えていない。
◆ミニアルバム
丘を下りてインスブルック市内を走っている時、カブト虫君が突然モウモウと煙を吐き出したのでビックリした。五人の男を乗せて丘に登り疲労困憊した格好だが、市内の信号で発進・停止を繰り返した影響もあったかもしれない。土曜日の午後だったので 大抵のガソリンスタンドが閉まっていて、開いているのは無人の給油スタンドだけだった。
K氏は免許を取ったばかりで、オイルのメンテナンスについては全く認識が無かったようだ。気息奄々のカブトムシを騙しだまし町中走り回って漸く整備してくれる処を見つけた。物は考えようで、インスブルックにいる内にトラブルが発生したのは不幸中の幸いであった。人家から離れた田舎道や高速道だったらもっと大変だったと思う。
O君の元下宿を訪問したり、オイルトラブルに見舞われて、出発が予定よりかなり遅れてしまった。特にオイルトラブルに遭遇して気勢を削がれてしまったので、ヴェネツィアまで行くかどうか道端で鳩首協議となった。カブト虫の速度とヴェネツィアまでの距離を勘案して、今発てば何とか明るい内に到着出来そうなのでイタリアに向けて出発することにした。[完]