学びの庭・概要

就学前、家計に余裕が無かったので、幼稚園には行かず朝から晩まで家の周りで遊んでいた。幼いながら自由気儘な生活をしていたので、入学が近づくと、毎日学校に行って何時間も拘束されることが煩わしく感じられた。勿論、学校生活への期待感もあったかもしれないが、記憶に残っているのは「この先、学校へ行ったり、会社へ行ったりの生活がズーッと続くはイヤだな!」と感じたことだった。

ところが、嫌いな筈の学校に17年もいることになってしまった。本来なら16年で切りがつくところを1回留年したため「学びの庭」を17年もウロウロしてしまった。その17年間を過ごしたのは、下図に示すように京浜地区の狭いエリアだった。大学に入学した年の9月、教養課程の立野分校が廃され、その機能が清水ヶ丘に移ったため大学では3ヶ所に通学した。統合前の我が母校は典型的なタコ足大学だった。

小学校から大学まで我が「学びの庭」は狭いエリアに集中しているが、それぞれに特色があって、振り返って見るとそこで過ごせたことは幸運だったと思っている。人付き合いの苦手な小生は同窓会やクラス会には殆ど顔を出さないが、共に学んだクラスメートは懐かしいと思っている。「学びの庭」も故郷の一部なので「故郷は遠くにありて – – – 」の心境である。

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