カメラを持てなかった頃

カメラが未だ高額商品で手が届かなかった時代に育ったので、サラリーマンになるまではカメラに縁が無く、手元にある写真の大部分が学校での集合写真である。それでも小学校の高学年になると戦後社会も大分余裕が出てきて、仲間の何人かが遠足にカメラを持参したのを覚えている。

一光社 スタート35K

勿論、小学生が買って貰ったカメラだからキヤノンやニコンではない。一光社と言う会社のスタートカメラだった。クラスの誰かが「オモチャカメラだ。」と言ったが、小生にはオモチャも本格も見分けがつかないので、心底 「スゲー!」と思った。

そのカメラで何度か撮って貰ったのだが、遠足から帰った後に写真を貰っていない。撮影に失敗したのかもしれない。あるいは費用が掛かるので焼き増ししなかったのか、写真代が払えないからこちらから断ったのか、今となっては不明である。

リコーフレックス

その後、ほんの一時期だが我が家にもカメラが存在したことがある。突然、兄がカメラを購入したのである。機種は当時ブームとなっていたリコーフレックスだったと思う。しかし、カメラは兄の趣味に合わず一年も滞在せずに売却されてしまった。

小生は写真を撮ることよりもカメラのメカニズムに興味を持って、兄が不在の時を狙って、密かにリコーを弄っていたので、売却がもっと先になっていたら弄り過ぎて壊していたかもしれない。 桑原桑原。

流石に中学の修学旅行では、何人かのクラスメートが本格的なレンジファインダーカメラを持参していた。その後、「もはや戦後ではない」と言われだしても、我が家の財政状態は良くなかったのでカメラとは縁が無かった。

会社に入って、仕事の関連で必要にせまられて職場にあったカメラでテストピースの写真を撮ったのがカメラ初体験だった。20代前半である。始めの頃は多量のピンボケ写真を撮って困惑した。職場の I 氏がピント合わせの勘所を教えてくれた。お陰でピンぼけ写真の量産は無くなったが、フィルムカメラの時代はいつも写っているかどうか心配だった。

 初めて自分のカメラを購入したのは、30代半ばに西ドイツに長期出張する時だった。会社から海外出張の支度金が支給されたので、大きな旅行鞄とカメラを購入した。

機種をどうするか迷っていたのたが、雑誌でCanonがAE-1を発売すると言う記事を見てAE-1に決めた。但し、発売時期が出発直前だったので入手出来るかどうか確信が持てなかった。発売前から人気沸騰で、横浜市内のカメラ店を何軒か回って漸く手に入れることが出来た。