ニュルンベルク

初めてドイツを訪れた時、フランクフルト空港では入国審査が無かった。そのまま乗り継いで、ニュルンベルク空港で手荷物検査無しに空港から街中に出た。従って入国の実感は無かったが「ニュルンベルクはドイツ最初の地」と言う意識は強い。 その後、エルランゲンのアパートに住んでからは、ニュルンベルク中央駅やニュルンベルク空港が出張や国外旅行の起点であった。

人口はエルランゲンが約10万でニュルンベルクが約50万だから、エルランゲンから見ると大都会である。とは言え、人口約120万のミュンヘンに比べると都市の規模では敵わない。ミュンヘンは州都なので、人口比以上に人・物・金が集まって大都会の雰囲気を作るようだ。首都圏に育った小生のお気に入りはニュルンベルクよりミュンヘンだった。

ニュルンベルクとエルランゲンの位置関係
ニュルンベルクとエルランゲンの位置関係

ニュルンベルクの中心部を拡大すると下記のようになる。

ニュルンベルク中心部(クリックで拡大)

◆調査した工場
1977年1月下旬から2月上旬の2週間、中型回転機工場(NMA)と電力計工場(NZ)を調査した。2工場は駅の南側で、歩いて20分位の所にあった。両工場は隣接していたと記憶するが40年も前のことで少々曖昧である。上の地図にはNMAの右上と左下に工場があるが、どちらがNZだったか思い出せない。エルランゲンのアパートからバスと電車を乗り継げば通勤可能だったが、ドイツの工場は始業時間が早いので中央駅に近いホテルに部屋を取った。

朝は時間に追われてタクシーでの出社だったが、夕方はノンビリ歩いて帰った。帰る途中、屡々ドイツ版の香具師に遭遇した。普通のドイツ語でも持て余し気味なので、香具師の口上は理解し難いのだが、身振り・手振りを交えたリズム感のある語り口に魅せられた。ドイツ版の寅さん達がどんな商品を売っていたのか記憶が曖昧だが、偶にバナナのたたき売りも店を出していた。

夕食後、ホテルで調査資料の整理と報告書作成をするのだが、ドイツのホテルの居室照明はビジネス向きでないので苦労した。仕事で疲れると、ベットに寝ころんでドイツのアマチュア技術誌を拾い読みした。 当時VHSもベータも登場したばかりで、欧州のメーカーも独自方式を開発していたが、この時読んだ記事で、日本勢が一歩リードと言う技術評価があった。世界を席巻したVHSが何年も前に姿を消したことを思うと隔世の感を禁じ得ない。

◆ニュルンベルクの写真
ここに載せた2枚の写真はドイツ語学校を修了して、エルランゲンで仕事を始めた頃、週末に遊びに行って撮ったものだ。何かのお祭りかイベントがあって、中央駅から中央広場に架けて雑踏が続き、中央広場も青空市で賑わっていた。あまりの混雑に閉口して早々に退散した記憶がある。

マルクト広場(クリックで拡大)

上の写真の正面のガラス窓が沢山並ぶ建物の左手前に高さ19mのゴシック様式の金色の塔が見える。有名な「美しの噴水」で、黄金の塔を囲む八角形の鉄柵に継ぎ目のない金の輪がはまっており、それを回すと願いが叶うと言われている。写真を撮った当時はドイツ語学校を出たばかりで、そのような言われもここが有名な観光スポットだとも知らなかった。

フラウエン教会(クリックで拡大)

実はニュルンベルクの写真は上の2枚しか無い。次の年は工場調査で滞在したり、週末に出掛けてデューラーの家やカイザーブルクなど観光スポットを回ったのだが写真を撮っていない。近くに住んでいると無意識のうちに「何時でも 撮れる」と思うのか、或いはもっと天気の良い日に撮ろうとしたのか、今となっては分からない。