大盤解説会

現役時代は時間が無かったので、大盤解説会に参加した記憶は希だったが、退職前の4年間の出向中は多少時間の余裕があり、一度か二度、富士通杯の決勝を観戦した記憶がある。退職後二年間は毎日碁会所通いで忙しく、市ヶ谷の日本棋院で開かれる大盤解説会を覗くくらいだった。その後、体調を崩したため暇はあっても長時間の移動や観戦が難しくなり、大盤解説会も気楽に参加出来なくなった。

2004年にニコンのデジ一「D70を手に入れたのを機に、体調を気にしながらも恐る恐る遠出を試みたが、行ったのは馴染みのある名古屋や松本に留まった。2007年に、NEC杯が公開対局で大盤解説会が全国各地で開かれているのを知り、大盤解説会の観戦を引き金としてその近辺を旅して撮影することにした。この「引き金」のお陰で、それまで体調を気にして躊躇していた遠出の心理的ハードルが低くなったような気がする。

これまでに参加した大盤解説会を列挙してみると下表のようになる。これ以外にも参加したかもしれないが思い出せない。とここまで書いたところで、愛・地球博で中国が日中対抗戦を開催し時に観戦に行ったのを思い出した。一回限りの解説会は終了した棋戦の欄に入れておく。

参加したことがある大盤解説会

 

◆富士通杯
1988年に始まって、2011年に終了した。富士通の経営悪化が主因だが、第11期以降は日本人棋士の影が薄くなったことも影響したと思われる。一回戦はシード棋士抜きの8局、二回戦はシード棋士が登場して8局打たれる。その年の4月に準々決勝まで行い、7月に準決勝と決勝を行うのが基本的なパターンだった。準々決勝をソウルで開催したこともある。第22期の一回戦はコンデジ持参で観戦したので画像が残っていた。(クリックで拡大・移動)

 

NEC杯囲碁トーナメント戦
体調を崩して遠出する気力が無かった頃、この棋戦を観戦することを切っ掛けに旅をするようになったので大変感謝している。観戦で体調が回復したわけではないが、各地を回ることが出来て隠居生活に彩りを添えてくれた。大盤解説会が終了した後も気軽に撮影旅行に出掛けるようになったのが良かったと思っている。

2007年(第27期)のNEC杯観戦状況(クリックで関連ページが開きます)

2008年(第28期)のNEC杯観戦状況(クリックで関連ページが開きます)

2009年(第29期)のNEC杯観戦状況
名古屋大会(準々決勝)、大阪大会(準決勝)、東京大会(決勝)は公開対局だったが、名古屋は参加予約したが、写真が残っていないので不参加だったようだ。大阪大会の写真はお散歩アルバムの2010年に「大阪城天守閣」のページに載せた。決勝の東京大会は例年のメルハルクホールではなく、品川の「テレビ東京天王洲スタジオ」だった。雨模様の中を出掛けた記憶があるが、何故か写真が見当たらない。

2010年(第30期))のNEC杯観戦状況
一回戦、二回戦はネット対局だった。準決勝の大阪大会への申し込みハガキのファイルがあるので申し込んだ筈だが、都合で参加しなかったようだ。決勝の東京大会の会場は日本棋院で、参加したが写真は撮っていない。

2011年(第31期)のNEC杯観戦状況
一回戦、二回戦はネット対局。準決勝の参加申し込みのハガキ(ファイル)がないので申し込まなかったようだ。決勝の東京大会には参加。前年と同様に日本棋院で大盤解説会が行われた。NEC杯はこの年で終了した。

 

◆大和証券杯
予選はネット対局で、決勝だけが大盤解説される。最初の2~3年は東京駅八重洲口の本社ビルの大会議室で開催されたが、本社が八重洲口のグラントウキョウノースタワーに移ってからは大盤解説会の会場もグラントウキョウの大ホールに移った。ビルの低層部に大丸東京店が入っているので駅直結の感じだが、高層部のオフィスフロアへの入り口は一寸分かり難く初めての時は戸惑った。(クリックで拡大・移動)

◆阿含・桐山杯
ホテルオークラ時代は写真を撮っていない。会場が京都に移ってからはカメラを持参したが未熟なカメラ術のためうまく撮れなかった。屋内撮影の難しさを知った。

◆愛・地球博のイベント
万博行事として日中対抗戦を中国・湖南省が主催した。出場棋士は過去に日中スーパー囲碁に出場した棋士5名。対抗戦と言っても親善目的の催しである。