パッサウ・下宿・学校

◆パッサウの下宿

撮影を嫌がる下宿の小母さんを遠くから撮る
撮影を嫌がる下宿の小母さんを遠くから撮る

最初に紹介された下宿は学校からかなり離れたところで、ドナウ川とイン川の合流点に近い辺りだった。学校から遠いのでバス通学となるし、下宿周辺の環境もあまり良くなかったので断ることにした。

学校に戻り、もっと学校に近い下宿を頼んだ。係の人は電話で交渉しているようで、かなりの時間待たされた。適当な部屋が無く、女子学生を希望していた家主を説得して小生を割り込ませてくれたようだ。 新しく紹介された下宿は急な坂道を厭わなければ学校まで徒歩で4~5分の距離だった。

家主は一人暮らしの小母さんで、高層マンションの何階だったか忘れたが、広さは3LDKで二部屋を下宿として貸していた。 隣室にバルセロナから来たスペイン人が居たが、何故かいつも忙しそうで、一ヶ月住んでいたのに一度か二度しか話していないが、人見知りする小生と違って、誠に愛想が良く、なかなかの美男子であった。

入居して数日後に小母さんから郊外のレストランでの夕食に招待された。ボディガード代わりに甥っ子が同行した。小母さんの写真を撮ろうとしたらダメだと言う。それでも頼み続け、離れたところからと言う条件で撮ったのが右の写真である。 標準レンズでは顔の表情までは分からない。

小母さんは勤めているので普段はあまり顔を合わせないが、偶に夜アイロンをかける時など、声を掛けてくれて、小生のために会話の相手をしてくれた。その時のとりとめのない話題は殆ど記憶に無いが、一つだけ忘れられない話題があった。

多分、その日の夕方にパッサウで虹が出たためと思うが、虹の発生メカニズムについて意見が対立した。理論的には小生の方が正しいのだが、論争を支配するのは言語力で、当然のことながらこの点は圧倒的に小母さんが優勢である。その論争は双方が主張を譲らないので平行線のまま終わった。

      [会話練習の一コマ]
        小母さん:今日の虹、見ましたか? 虹は暖かい季節しか出ません。
        小生   :そんなことはないです。虹は空気中の水滴に太陽光線が反射して出来るので、
             冬だって条件が整えば虹は出ます。
        小母さん:いいえ、冬は出ません。

その後、滞独中の冬のある日、大きな虹を見た。小母さんに見せてやりたかった。今となっては何処で見たのか場所を思い出せない。それにしてもドイツ人は普通の小母さんでも手強いと思った。

◆ドイツ語学校
初日に簡単な筆記試験があり、小生は中級コースに入れられたが、聞き取りに困難を感じたので先生に頼んで、1ランク下のコースに替えてもらった。移った先の教室はプリーンから応援に来たN先生のクラスだった。クラスを替えてもらっても、やや難聴気味の小生は相変わらずヒアリングに苦労していた。但し、こちらのクラスには似たようなレベルの生徒がいるので多少気楽だった。

小生が最初に入れられたクラスには日本人が数名いた。その中に定年間近の私大の教授がいて、聞き取りと喋る方は苦手のようだったが、小生と違って逃げ出さず悠々と授業を受けていた。先生の質問が分からない時は堂々と別の学生に質問を振ってやり過ごしていたようだ。ドイツ語のボキャブラリーは豊富なので新聞はよく読んでいて、日本人仲間の貴重なニュースソースであった。

プリーンと違ってパッサウでは1ヶ月コースなので、授業は毎日午前・午後(終日)みっちりあった。その上、週末にウィーン、ザルツブルク、プラハ と出掛けたので、パッサウの1ヶ月は休み無しで疲労困憊した。 朝食はドイツ語学校の食堂で取ったが、プリーンのドイツ語学校よりも良かったように記憶している。昼食と夕食は街のレストランだった。

ドイツのレストランは時間が掛かるので、昼食が長引いて時々午後の授業に遅刻しそうになった。実際に一度か二度は遅刻した。授業が終わると一旦下宿に帰り、予習と言うよりは休憩で時間をつぶしてから街中に出て散歩や買い物した。高緯度とサマータイムのため日没には間があるが、出直すのが億劫なので、その足でレストランに回り早めの夕食を取った。

半世紀近く経ってドイツ語学校の授業は殆ど思い出せないが、アチコチ旅行したことと、卒業文集を発行したことは楽しい思い出である。授業の内容は記録が残らないのに反して、旅行の写真や冊子が思い出の〝よすがとなっている。その〝よすが〟は今では紙の媒体からハードディスクに替わって、我がHPで簡単にアクセス出来る。

◆アルバム
パッサウの一ヶ月は大忙しだったので街をジックリ見物することがなく、写真もあまり撮れなかった。クラスのお別れパーティで撮影担当に指名されたので、街を撮る代わりにクラスメートの写真を沢山撮った。パッサウには一晩で現像するお店があり、パーティの翌日には写真を回覧して焼き増しの申し込みを受け付けたが、出来上がった写真の分配・配布・集金は結構面倒な仕事だった。