プラハ1(プラハへ)

ドイツ語学校で、1976年8月21日(土)、22日(日)にチェコのプラハ 見物が企画された。未だ冷戦の真っ盛りで共産圏を覗いてみたいと思い参加した。 出発の前日、参加者全員を集めて説明会が開かれた。数枚のプリントが配られて、旅行中の注意事項や見物対象の解説があった。プリントは帰国時or帰国後に処分してしまったが、今考えると貴重な情報だったかもしれない。

土曜日早朝、バス数台でパッサウを発った。出発時は激しい雨だったが、走っている内に雨が止んで、徐々に天候は回復した。雨のお陰で車内の温度はそれ程上がらず、貸し切りバスの中は遠足気分だった。国境の検問所の入国審査はかなり時間が掛かったので、共産圏に入ることの大変さを実感した。ここで両替をしたかどうか記憶がハッキリしない。

パッサウ→プラハルート地図w検問所を出るとバスはボヘミアの草原を快調に走った。機会があったら「鉄のカーテン」の内側を見たいと思っていたので、沿道の景色は興味津々だった。景色は美しいが、農家の家屋や鉄道車両や駐車した車等はかなり古く、西ドイツの田舎を見慣れた眼には、東側は経済的にかなり立ち遅れているなと感じた。国境からかなり走ったところで、初めて「PRAHA」と言う道路標識を目にした。西側で見る標識とは大分雰囲気が違って粗末だった。(写真06参照)

標識には「4(号線)」「PRAHA」「SLAPY」とあった。未知の地名SLAPYが気になったが、当時は「どの辺なのか」全く分からなかった。最近になって、Google Map を見て、上図のような位置だと分かった。その付近の拡大図を下に載せておく。暫く走った後、バスは4号線を外れてカールシュタイン城に向かった。

プラハ、カールシュタイン城、スラピィ

 

カールスタイン城からプラハへ
バスを降りると丘の上に中世風のお城が見えた。麓の町からお城の近くまで馬車で登ったような記憶がある。或いは無蓋のトラックだったかもしれない。
カールシュタイン城は神聖ローマ帝国の財宝保管場所だったそうだが、ヨーロッパの歴史を知らない上に我が貧弱なドイツ語力ではガイドさんの説明がよく理解できなかった。

カールシュタイン城 の見物を終えて駐車場に戻り駐めてあった古い車を見ていると、そっと近寄って来た男に「ドルorマルクと現地通貨の交換」を囁かれた。共産圏の闇ドル屋は 行く先々に居た。次の日、プラハの街中でも白昼堂々と交換を迫ってきた。残念ながら買いたいものが無いので交換はしなかった。

夕方未だ明るいうち にプラハに到着した。泊まったホテルの名前は全く思い出せない。ツアーの料金が安いのでホテルには期待していなかったが、意外にもロビーは由緒ありそうな 佇まいだった。しかし、調度や水回りの設備は昔のままでメンテナンスされていないので、オンボロホテルと言うしかなかった。「共産主義はダメ!」と言う印象だった。


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