◆出張準備
四半世紀前(時が経ち今では42年前)、技術調査のため約一年半の予定で西独(当時)に出張することになった。生まれて初めての海外生活であり、好奇心と不安を抱えつつ渡欧の準備をした。 それまで担当していなかった分野のテーマも調査対象にリストアップされていたので、出発前に各工場を回って、専門家にインタビューしたり、関連分野の予備知識を仕入れたりした。
仕事以外の準備としては、 出発前の2ヶ月間、渋谷にあった欧日協会ドイツ語会話コースに週2回通った。独語会話は最優先課題だったが、残念ながら気ばかり焦ってあまり成果は無かった。ただ、先生がドイツ人だったのでドイツ人に慣れると言う効用はあった。ドイツ語会話コースだけでは心配なので、会話教材を入手して自習をすることにした。
出来るだけボリュームが少なく、それでいて中身の濃い教材を探して「ことばの旅 ドイツ」と言うカセットテープ2本付きのものを選んだ。NHKドイツ語口座担当の中島氏が編纂、日本人医師の加藤さんがドイツ国内を旅行すると言う設定である。

会話だけでなく現地の生活習慣の案内書としても役立った。但し、教科書だから当然だが、主人公の加藤さんは凄くドイツ語がうまくて、外国語音痴の小生には遙かな未踏峰を見上げるような感じだった。他の教材に比べるとボリュームは少ないのだが、残念ながら出発までに読了出来ずドイツにカセットテープ共々持参した。
海外事情に関する本も何冊か読んだ。参考になったのは、サトウサンペイさんの「スマートな日本人」と深田祐介氏の「新西洋事情」である。当時読んだのは単行本だったが、今手元にあるのは後年出版された文庫版である。その表紙と惹句を載せておく。
下に載せたサンペイさんの本は、海外旅行でのマナーを絵入りで紹介しており、裏表紙の惹句の通り海外初心者である小生の旅先での細々したことに関する不安を解消してくれた。
下の深田氏の「新西洋事情」で一番印象に残ったことは「西洋人のダメモト精神」だった。日本人、特に江戸っ子の気風とは合わないが「郷に入っては郷に従う」である。ドイツ滞在中は、日本でなら我慢して引き下がるところも、念のため頑張ってみて、結構有効だと実感したが、今考えると若くて元気でないとなかなか実践し難いことである。
◆出国
当時は上司と同僚が羽田まで見送りに来てくれた。 見送りの一人からドイツへの届け物を頼まれ、ロビーでトランクを開けて押し込んだ。初めての渡航で平常心でなかったようで、最新式電子錠を掛け忘れたままトランクを預けてしまった。幸い中身は無事だった。空港のレストランで、N課長が「離陸すると直ぐ夕食が出るから食べない方がいいよ」と言うので、小生はコーヒーだけにした。

チェックインを済ましてロビーに戻り、出発を待つ間、見送りに来て下さった方々と話をしたのだが、初めての海外出張で緊張していたから会話も上の空だったと思う。

当時の羽田は、搭乗口から航空機までバスで行くのだが、バスに乗る前にルフトハンザの係員が入念なボディチェックをした。係員はドイツ語で何か言ったが、聞き取れなかったので、黙って言いなりになっていた。 午後9時過ぎ、 ルフトハンザ航空LH659(B707型機)は羽田を離陸した。小生は東京生まれの東京育ちで国内線も乗ったことが無かった。

初の海外出張が飛行機初体験で、初めて乗った旅客機がB707型機だったので、何もかも珍しかった。従ってB707が旧型機で大手航空会社の長距離便から退役しつつあることなど知らなかった。(民間用は1982年に生産終了)機体が小さいので座席にゆとりが無かったが、隣が空席だったので狭い座席でもゆっくり出来た。
N課長の言う通り飛び立って直ぐスチュワーデスが配膳作業を始めた。ところが配膳作業が始まって直ぐ乱気流に遭遇、小さなB707型機の機体が猛烈に揺れだした。機体がミシミシ軋む音でヒヤヒヤした。揺れが酷いので配膳作業が中止され、直ぐ出てくると期待していた夕食はお預けとなった。スチュワーデス達もベルト着用で待機した。乗務員用の席より客席の方が座り心地が良いのか、スチュワーデスの一人が小生の隣の空席に来て座った。
黙っているのも気詰まりなので、何か食べ物は無いかと聞くと、ポケットから機内サービスで出すおつまみ用のピーナッツを出してくれた。二人でピーナッツを食べながら話をしたのだが、残念ながらなかなか通じなかった。彼女の話を聞き取れないのは覚悟していたが、当方のドイツ語もなかなか通じないので前途多難を予感した。
乱気流と空腹の2時間?(精々1時間だったか)が過ぎて、漸く夕食が始まった。どんなメニューだったか今となっては思い出せない。お腹を空かせたまま墜落と言う悲劇だけは回避されたようで、少し安心して眠ることにした。しかし、初めての渡航で興奮していたせいか、絶え間ないエンジンの音と慣れない座席のためか、なかなか寝付かれなかった。

ウトウトしている内にアンカレッジに着いた。着陸前に窓から見たアラスカは白一色で雪山なのか雲なのか寝ぼけた目には分からなかった。機内のトイレは狭いので、洗面はアンカレッジで済まそうと思っていたのだが、慣れない小生は場所取り競争に後れをとってしまった。漸く小生の番になって髭を剃ろうとしたらお湯が出なかった。洗面所の不具合故にアンカレッジの第一印象は良くなかった。
第2寄港地ハンブルクは気象条件が悪く、フランクフルトに直行したため予定より大分早く到着した。入国審査は何処かなと思いながらターミナルビルに入ったが、早朝のためか何処のカウンターも人が居らず、知らないうちに待合い室に入っていた。(実際の入国審査はニュルンベルクだったようだが、ニュルンベルクの審査も一言二言で終わったので入国の実感が無かった。)
初めての渡航なので、フランクフルトでの乗り継ぎ時間を十分取っていた。ところが、ハンブルクに寄らなくなって一時間以上早く着いたので、かなりの待ち時間となってしまった。しかし、我がドイツ語では搭乗機の変更処理は難しいので空港内で時間を潰すことにした。手始めに緊張しながら両替や買い物に挑戦した。フィルムを買う時「フォーマットは?」と聞かれたので「35mm」と答えたのだが通じなかった。
日本なら、首から一眼レフをブラ下げて「フィルム」と言えば大抵35mmフィルムが目の前に出てくるのだが、そうは行かなかった。ドイツでは「135フォーマット」と言うらしいが、その時は知らなかったので棚に並んでいるフィルムを指さして目的を達した。空港内のレストランで何か食べた筈だが、何を食べたか覚えていない。両替・買い物・食事が終わるとすることが無いので運行表示が見える場所に座って予約便の搭乗時間が来るのを待った。
漸く辿り着いたニュルンベルク空港で駐在員のY氏に声を掛けられホッとした。Y氏の車でエルランゲンに向かった。駐在員事務所に寄った後、ホテルまで乗せて貰ってY氏と別れた。国内でもビジネスホテルが普及し始めた頃で、海外のホテルのチェックインでも戸惑うことは無かった。居室は日本のビジネスホテルより格段に広くてさすがと思った。

広いバスルームの使い心地はどうかと思い、大きな便座に腰を下ろしたのだが、トイレットペーパーが無いのに気が付いた。困ったなと思いつつ頭の中でドイツ語の文章を組み立ててフロントに電話したら、これは直ぐ通じてフロントの小父さんが飛んできた。

夕食まで間があるので町を探索することにした。ホテルを出て暫く歩いて、交差点に出たので賑やかな方に曲がったのだが、これが間違いだった。賑やかな方はエルランゲンの繁華街に至るメインストリートではあるが駅とは反対方向だった。メインストリートを歩いていたら突然自転車のベルで追い立てられた。自転車走行レーンを歩いていたのである。「左側通行」のことは聞いていたが、「自転車走行レーン」 は全く頭に無かった。自転車走行レーンと言っても、敷石の色を変えて区別するだけなので慣れない外国人には分からなかった。
駅を目指した積もりだったが方角を間違えたので、周囲が段々寂しくなってきた。会食に遅れないよう適当に切り上げて戻った。その日、偶々日本から来客があって、その会食に小生も招待されていた。ドイツでの食事のマナーを実習する良い機会だった。特に乾杯のマナーは印象に残った。翌日からは単独行動なので、帰りに駐在員C氏の車でエルランゲン駅に寄って貰い、駅の様子を偵察した。