午前中「ホテル待機」の連絡を受けて、抜け駆け市内見物をした日の午後、団長がピラミッド見物をセットしてくれていた。それは有り難いのだが一寸困ったことになった。団長がセットしたことを知らなかったので、午前中の市内見物で民芸品市場からホテルまで乗ったタクシーの運転手に「午後ピラミッド見物に行くので、1時にホテルに迎えに来てくれないか」と頼んでいたのである。
ホテルへ迎えに来た運転手に「別の車でテオティワカンに行く」とも言い難いので「用事が出来たので、行けなくなった」と言ってチップを渡して、お引き取り願った。ところが、彼が別のお客さんを乗せてテオティワカンに来たため、現地でバッタリ出会ってしまい一瞬困った。仕方がないので、手を挙げて大声で「ヤア!ヤア!」と言うしか無かった。
◆ピラミッド
テオティワカン行きの一行はF氏、O氏、y氏と小生の4名と運転手兼英語ガイドのオジサンだった。何度も来墨しているS団長と3年ほど駐在していたOz氏は不参加だった。街を出ると車は荒野の中を走り、途中でお土産屋さんに寄った。ガイドはお客をお土産屋さんに連れ込むのも仕事のようだった。お土産屋のオバサンが、 サボテンの仲間である竜舌蘭からテキーラを作る話をしていた。
オバサンの説明は小生にはよく聞き取れなかった。後で聞いた話では、蒸留方式が導入される前のテキーラは一種の「どぶろく」だったそうである。オバサンは説明の後で記念撮影用にソンブレロを貸してくれた。小生は麦わら帽子のように柔らかい感触を期待していたのだが、非常に堅くて重みがあるのでお世辞にも被り心地が良いとは言えなかった。

メキシコシティからテオティワカンまで約50km である。(上図参照)出張が決まった時、機会があればメキシコのピラミッドを見たいと思ったが、ODA調査団の一員として行くので観光スポット訪問は難しいと思っていた。運良く機会を得たが、来てみると目の前のテオティワカン遺跡は広大過ぎた。予備知識が不足していて、ガイドのオジサンの説明をよく理解出来なかった。

当日はカンカン照りの天気で、真冬とは思えないほど体感温度が高かった。ケツァルコアトルの神殿の周辺で説明を終えたガイドさんは「後は自由に見て下さい」と言って姿を消してしまった。遠くから見ると「太陽のピラミッド」はそれ程高くないので簡単に登れるだろうと思い、取り敢えず「太陽の広場」に向かって歩いた。
太陽の広場には「しつこい物売り」が多く、その中の一人が小生をカモと見たらしく一緒に登り始めた。自分の身体を持ち上げる作業とカンカン照りが相俟って、直ぐに息が上がってしまった。それでも休むと件の「物売り」が煩く話し掛けてくるので、休まず登り続け「物売り」と同時に頂上に着いた。彼の根性は天晴れだったが、小生も頑固で意地っ張りなので、登る前に断ったことを楯に何も買わなかった。
ピラミッドの頂上は神殿があったらしく比較的広い平坦部があり、かなりの数の観光客がいた。しゃがみ込んで占い師のような仕草をしている女性が目に付いたが、遠慮して声は掛けなかった。F氏は日本から来た女子大生のグループに声を掛けて写真を撮り合っていたが、彼女等のアドレスを聞き出すのも慣れたものである。
太陽のピラミッドを降りて広場に立った時、 メキシコ人の若い女の子に声を掛けられた。どんな話をしたか全く記憶にないが記念に写真を撮らせてもらった。今となっては残念なことだが、月のピラミッドには行かなかった。太陽のピラミッドで疲れたせいか、どちらか一つ登れば十分と思ったか、ツアー後に予定されていた夕食会の時間を気にしたのかハッキリした理由は思い出せない。
帰途、例のお土産屋に寄り “飾り物(アステカの暦)” を多量に購入した。この日の泊まりは日航ホテルだった。 開業したばかりで従業員の練度不足が目立ったが、新しいので快適だった。日航ホテルは1泊の予定だったが、帰国便のエンジントラブルが発生して滞在が1日延長された。日航の負担で延泊することになり、お陰で「人類学博物館」や「歴史博物館」を見学出来た。
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