ドイツ語学校では毎時間機関銃の連射のような質問攻勢に遇うので緊張の連続だった。下宿では予習・復習の合間に散歩したり、ベッドに寝転んでミュンヘン駅で買った時刻表を取り出して路線図を眺めた。路線図を見ながら最初の週末をどう過ごすか考えた。プリーンの近くに放送塔のあるヴェンデルシュタインと言う山があり、登山鉄道があるので小生でも楽々登れそうだった。最初の週末はここに行くことにした。
土曜日の朝、寝坊したので予定より遅れてプリーン駅に着いた。丁度列車が入ってきたので、切符を買わずに飛び乗った。ドイツでは改札が無いので無札でも乗車可能で、列車が走り出すと直ぐに車掌が検札に来る。この時も直ぐに車掌が来た。小生が行き先と無札だと言うと、困ったような表情で、乗車券の他に急行券と手数料が必要だと言った。
エルランゲンでの会食の席で、無札で乗車して車内で買うと手数料として1マルク取られると聞いていたので、車掌の言葉は半分も聞き取れなかったが、言わんとしたことは直ぐに解った。小生が「払います。」と言うと、車掌はホッとしたようだった。ローゼンハイム駅で乗り換えたはずだが記憶が曖昧である。

◆ミニアルバム
ドイツ到着後一週間、西も東も分からないけど、ドイツの生活に慣れるには旅に出るのが一番と思い出掛けたのですが、登山電車の乗り場が分からず途方に暮れました。それでも目的地に着いて下宿に戻れたのですから成功でした。
登山電車を降りてブランネンブルク駅に戻ろうと思ったが、懸念していた通り周辺にはタクシーが見あたらなかった。我がドイツ語は未だ公衆電話でタクシーを呼ぶレベルではないので、朝来たと思われる道を歩いて戻ることにした。記憶だけが頼りだったので一寸心細かった。下界の気温はかなり上がっていた。
沿道の家々の白い壁も直射日光を浴びて輝いていた。ある家の庭で若いお父さんが小さな坊やとサッカーに興じていた。午後の日差しが親子の全身に容赦なく降り注ぎ、二人とも汗びっしょりだった。随分歩いたのに中々着かないので、道を間違えたかと不安になった頃、漸く見覚えのある駅前に出た。往きは緊張していたせいか、今でも車中のことや駅前でウロウロした記憶が残っているが、帰りの切符や列車のことは全く思い出せない。