コロナ

緊急事態宣言下、小生の頭の中で「コロナや、コロナや」と言うメロディが響いていました。元歌は「コロナ」の箇所が「モスラ」で、歌ったのはザ・ピーナッツと言うことだけ覚えています。曲名や歌詞、作曲者等は思い出せません。
7月3日、録画した「7時のニュース」を3時間遅れで見ながら朝刊を開くと、一面右下に中公新書「古関裕而」の広告が載っていました。目についたのが、露営の歌や長崎の鐘と並んで「モスラの歌」と言う曲名です。

朝刊(7月3日)の広告欄抜粋

思い出せなかった元歌は「モスラの歌」で作曲者は古関裕而でした。早速「モスラの歌」を youtube で検索、元歌の「モスラやモスラ」を聞きました。動画の背景画像から半世紀以上前にみた映画「モスラ」の主題歌だったことを思い出しました。学生時代なので、多分、馬車道の横浜東宝会館で見たと思います。動画を見ると「Mothra Ya Mothra」で、我が記憶の「モスラ や モスラ や」と一寸違っていました。

頭の中でどうして「モスラ」と「コロナ」が重なるのか、連想の理由は自分でもわかりません。ナガラ見のTVニュースの方は「東京で100人を超える感染者」と報じていました。日課の散歩から帰って入浴後に見た夜のニュースでは「東京は124人で二日続きで100人超」と伝えていました。残念ながらコロナを懲らしめる「怪獣」の登場はなさそうです。

以上

 

続・常時SSL化

常時SSL化したことは前回に書きましたが、何処かに漏れがありそうで気懸かりでした。暫くして気がつきました。ページ最下端のフッター部分のカウンター表示に不具合がありました。

カウンター不具合(クリックで拡大)

原因は、レンタルサーバー会社(ロリポップ)が提供しているカウンター機能がSSLに対応していなかったのです。念のため「網老写真帳」の方を見るとこちらのカウンター表示は以前の通りでした。

カウンター表示は不具合無し

「網老雑記帳」も「網老写真帳」も同じ「http://」サイトのカウンター画像を参照していますが、前者ではカウンター画像が表示されず、後者では表示されています。何故差が出るのか不明ですが、下に「網老写真帳」のソースリストの一部を載せておきます。

網老写真帳のソース抜粋

ネット上にSSL化対応の無料カウンターが幾つかあったので試してみました。よさそうなカウンターもあったのですが、暫くするとブラウザー(Edge)が停止します。そこで妥協しました。「雑記帳」の方は、当分カウンターを設置せず、「写真帳」の方には従来のカウンターを残すことにしました。

取り敢えず妥協

その結果、上図のように雑記帳には「錠前アイコン」が表示されます。写真帳の方は「錠前アイコン」が表示されず、グーグルのクロームだと「保護されていない通信」と表示されます。

暫く、そのまま公開ていましたが、矢張り気になります。下記のフィードバックを書いた後、cgiを使ったカウンターを試してみました。ブラウザーの挙動が不安定になることもなさそうなので、フロントページに設置し、写真帳(アルバム)の方のロリポップ提供のカウンターは外しました。その結果、全てのページに「錠前アイコン」が表示されるようになりました。

全てのページに錠前アイコン

常時SSL化

2018年7月リリースのGoogle Chrome 68から、SSLで暗号化されていない(URLが「http://」で始まる)全てのホームページを閲覧した際に、アドレスバーに「保護されていない通信」と警告が表示されるようになりました。

アドレスバーの警告表示

Google は、この警告表示により、インターネット上の各サイトが常時SSL化することを狙っています。と言うのは、この警告表示を回避する唯一の方法は、サイト全体をSSLに対応(常時SSL化)させることなので、対応せざるを得ないのです。

隠居の暇つぶしみたいなサイトなので、カード番号や暗証番号を遣り取りすることはなく、SSL化の必要性はあまり感じないのですが、アドレスバーに「保護されていない通信」と表示されるのは目障りで、隠居も対応することにしました。

2019年秋の広島旅行のアルバム造りが年を越し3月始めに漸く完了しました。お花見には間があるこの時期、手が空いたのが運の尽きと言うか、想定外の苦労の始まりでした。これまで先延ばししていた「網老雑記帳」のSSL化に取り掛かったのです。

作業内容
① 無料独自SSLの設定。(レンタルサーバーの管理パネル上で)

② コンテンツのソースコードなどをSSL化用に修正。
③ 正しく表示できるかチェックし、必要なら再修正。
④  WordPressの設定を「https://」向けに修正。
⑤ 「.htaccess」ファイルにリダイレクト用の行を追加。(これで「http://~」でアクセスしても「https://~」に接続。)

②の修正には、修正用のアプリがあるようですが、小生は秀丸エディターの置換機能を使いました。修正対象が200ページ近くあり、修正箇所は500~600ヶ所あったので時間が掛かりました。特にイメージマップでリンクしているページは手間が掛かりました。

約2週間後に何とか作業を終えてSSL化が完了しました。下図の錠前アイコンが「SSL化」した証しです。たったこれだけですが、辛気臭い作業の繰り返しで大変でした。(>_<)

アドレスバーに「錠前アイコン」

NHK+

NHKのネット同時配信が4月1日から始まりますが、それに先だって3月1日から試行的に開始されました。パソコン使用中に「ながら視聴」するには具合が良さそうなので小生も試してみました。

NHKのサイトを覗くと、同時配信を利用するには「ID登録」が必要とあったので、取り敢えずID登録をしました。登録ページの出来映えはイマイチでしたが、何とか登録を済ませました。

但し、登録したのが夜中だったので、既に放送時間が過ぎていて同時配信の視聴は出来ませんでした。翌日、3月2日午後に同時配信を受信してみました。その時のサインインした放送画面が下記の画像です。

暫くPC作業をした後「eテレ」に切り換えて見たら同時配信しない番組でした。下の番組表から推察すると「高校講座」は同時配信しないようです。更にPC作業を続けた後、気がついて「eテレ」に切り換えて見たら、今度は配信してました。

左から、NHK綜合、当日の番組表、Eテレ(クリックで拡大)

「ながら視聴」に気を取られて肝心のPC作業が停滞するのが心配ですが、同時配信は便利で使えると思いました。

2019年師走

師走に入って最初の日曜日(12月1日)、外苑イチョウ並木通りのレストランで昔の職場の同僚と会食しました。会の終了後、イチョウ祭りで賑わうイチョウ並木通りを散策、前日に完成した国立競技場を望見してきました。

サムネイルをクリックすると画像が拡大されます。

最近は直ぐに忘れるので、当日の散歩ルートを載せておきます。(クリックで拡大)

12月1日の散策ルート

因みに当日の歩数はと言うと、外苑の散歩では9,000歩どまりでしたが、帰宅途中に横浜駅地下街をウロウロしたので一万歩を超えました。(クリックで拡大)

12月1日の歩数

暗路

お正月も元日以外は毎日横浜の地下街を歩きました。松の内のある日、歩きながら無意識に高校時代に習った「ほととぎす(暗路)」を口ずさんでいました。歌っていることに気がついて一寸恥ずかしかったのですが、小声だったので行き交う人は気がつかなかったと思います。

ただ、後半の部分で思い出せない箇所があったので、帰宅して検索するとYouTubeに近藤朔風と志村建世の訳詞の曲がアップされていました。YouTubeには原詩「Her Bright Smile Haunts me Still」を歌った作品もアップされています。

日本語版「ほととぎす(暗路)」
高校時代に習った「暗路」の歌詞は近藤朔風の訳詞でした。近藤朔風版の1番の歌詞は訳詞と言うよりも作詞と言う方が適切かもしれません。下に載せたものは何故か2番は歌われず、1番を繰り返しています。

訳詞:近藤 朔風  歌:河村 順子
作曲:WILLIAM THOMAS WRIGHTON

  小暗き夜半を ひとり行けば
雲よりしばし 月はもれて
ひと声いずこ 啼くほととぎす
見かえるひまに すがた消えぬ
夢かとばかり なおも行けば
またも行く手に 闇はおりぬ
  別れし友よ 今はいずこ
今宵の月に 君を想えば
心はうつろ 思い出消えず
悩める胸に 帰るは彼の日
星影だより 共に語りし
昔の言葉 今ぞしのぶ

日本語版「消えぬおもかげ(暗路)」
日本語版「暗路」には志村建世の歌詞を使ったモノがあります。

訳詞:志村 建世  
作曲:WILLIAM THOMAS WRIGHTON
歌:間庭 小枝   伴奏:米山 知里

  わかれた人の おもかげ今も
心なやます とおい旅路に
風にきこえる その人の声
波間に浮かぶ その人の顔
払いのけても 去らぬおもかげ
旅の空にも 消えぬおもかげ
  夜明けも近く ひかる星かげ
見上げる空の くらい深みに
またもほほえむ その人の顔
まなこ閉じれば 夢をなやます
払いのけても 去らぬおもかげ
旅の空にも 消えぬおもかげ

鮫島有美子のCD
小生が持っているCD「ローレライ~ヨーロッパ愛唱歌集」にも「暗路」が載っています。但し、歌詞は変則で、1番が近藤朔風版歌詞の第1連、2番が志村建世版歌詞の第1連です。歌詞の混在は変則的ですが、日本語バージョンの決定版となるかもしれません。昨年夏にCDをリッピングしたFLACファイルからmp3ファイルにコンバートしたものを載せておきます。

  おぐらき夜半を ひとり行けば
雲よりしばし 月はもれて
ひと声いずこ 鳴くほととぎす
見かえるひまに 姿消えぬ
夢かとばかり なおも行けば
またも行く手に やみはおりぬ
  わかれた人の おもかげ今も
心なやます とおい旅路に
風にきこえる その人の声
波間に浮かぶ その人の顔
払いのけても 去らぬおもかげ
旅の空にも 消えぬおもかげ

英語版「暗路」
Edward Johnsonと言うテノール歌手が1919年に吹き込んだものがアップされていました。ややスローテンポな歌い方なので、聞きながら歌詞を追いかけられます。「r」の発音が独特ですが日本人には聞きやすい感じです。

Her Bright Smile Haunts Me Still
    W
ords :Joseph Edwards Carpenter
    C
omposer:William Thomas Wrighton
    Singer: Edward Johnson

1 ‘Tis years since last we met,
And we may not meet again,
I have struggled to forget,
But the struggle was in vain;
For her voice lives on the breeze,
And her spirit comes at will;
In the mid-night on the seas,
Her bright smile haunts me still.
    For her voice lives on the breeze,
    And her spirit comes at will;
    In the mid-night on the seas,
    Her bright smile haunts me still.
  2番はスキップして1番の次は3番

2

 

 

At the first sweet dawn of light,
When I gaze upon the deep;
Her form still greets my sight,
While the stars their vigils keep;
When I close mine aching eyes,
Sweet dreams my senses fill;
And from sleep when I arise,
Her bright smile haunts me still.
    When I close mine aching eyes,
    Sweet dreams my senses fill;
    And from sleep when I arise,
    Her bright smile haunts me still.
3 I have sailed beneath alien skies
I have trod the desert path
I have seen the storm arise
Like a giant in his wrath
Every danger I have known
That a reckless life can fill
Yet her presence is now flown,
her bright smile haunts me still.
    Every danger I have known
    That a reckless life can fill
    Yet her presence is now flown,
    her bright smile haunts me still.

注)ここに載せた動画では、第1連と第3連だけを歌って第2連をパスしていますが、第2連の歌詞も載せておきます。なお、インターネット上に載っている英文歌詞では、第2連と第3連が入れ替わっているものもありますが、ここでは下に載せた楽譜の4ページ目に示された順に従いました。

暗路の楽譜(クリックで拡大すると4頁目を見られます)

以上、隠居の正月休みの自由研究でした。

喜寿を迎えて

小生、今年の1月に77歳になりました。身体のアチコチのパーツが寿命を迎えつつあり、色々な不具合もありますが、何とか平凡な隠居生活を続けています。先日、昔の職場の有志が「小生の喜寿を祝う会」を開いてくれました。

囲碁と散歩に明け暮れる隠居には非日常のイベントなので有り難くお受けしました。声を掛けてくれたT氏と参加して下さった先輩、同僚、後輩の諸氏に感謝です。折角の機会なので、我が長寿の祝いを振り返ってみたいと思います。

◆喜寿を祝う会(2017年)
既に書いたように昔の職場の同僚が、新宿ワシントンホテルで「お祝いの会」を開いてくれました。ホテルの目の前に都庁の高層ビルがあります。45階に展望室があって東京の街を一望出来ると聞いていたので、夜景を撮ろうと思って一泊することにしました。

寄せ書き(クリックで拡大)

会場はホテルの地下1階のお店で広々とした部屋でした。T氏の進行で、出席された方々のスピーチやK氏の尺八演奏などで盛り上げて頂きました。途中で、O氏が剣玉を取り出して、小生へのプレゼントだと言うので、昔取った杵柄、早速プレイしたのですが、かれこれ70年ぶりの剣玉はなかなか手強く、お皿に載せるのがやっとで、飛行機などの上級プレイは出来ませんでした。

剣玉はO氏の個人的プレゼントですが、それとは別に出席の皆さんからお祝いを頂きました。折角のお祝いなので、翌々日、散歩の途中にヨドバシに寄って、デジ一眼用のメモリーカードの購入に当てました。これで旅先でメモリーカードの残容量を気にせずに撮影を楽しめます。

XQDメモリーカード

わざわざホテルに一泊して狙った夜景撮りは、映り込みが激しく失敗でした。当日持参する予定の映り込み防止用フードを忘れてしまったのです。持参品リストには入れていたのですが、脳内リストだったので出発の時に漏れてしまったようです。

夜景は失敗しましたが、翌朝の天気が良ければスカイツリーと富士山を撮ることにしてモーニングコールをセットして寝ました。

ホテル居室の剣玉

当然ではありますが、翌朝はもの凄いベルの音で起こされました。カーテンを開けるとピーカンです。朝食前に再度展望室に登り、何とか富士山とスカイツリーを撮りました。昼間でも映り込みがあるので撮影方向が限定されます。矢張りフード必携です。

 

 

◆古希の引っ越し(2011年)
古希を意識した訳ではありませんが、体力の衰えなどを感じるようになり、散歩や碁会所に便利な横浜駅近くのマンションに転居することにしました。MM21の高層マンションを中心に物件を検討した結果、紅葉ヶ丘の再開発マンションに決めました。

スーパーデッキ

購入契約は2010年の夏にしたのですが、マンションの完成は2011年12月の予定で、全くの青田買いです。2011年3月に東日本大震災が発生したので、予定通りにマンションが建つのかどうか心配しました。

建設会社はだいぶ苦労したようですが、マンションは予定通り完成して、2011年の12月に40年住み続けた磯子区洋光台から西区紅葉ヶ丘へ転居しました。自分から自分への古希の祝いだったかも。

● 初めて見たスーパーデッキ
洋光台の団地は築40年の古い団地でエレベータがありません。人海戦術でも対応可能ですが、引っ越し屋さんの提案でスーパーデッキと呼ばれる特殊車両を使うことにしました。

 

 

◆何となく過ぎた還暦(2001年)
前年の2000年、小生は59歳で退職し隠居生活に入りました。勤め先の経営状態が好転せず、一種のリストラです。当時、難聴が進行して仕事に支障があったので再就職はせず、隠居することに決めました。隠居後は横浜駅の周辺を散歩したり碁会所を覗いたりする生活が始まりました。

隠居して9ヶ月目に還暦を迎えたのですが、囲碁三昧の生活が続いていたので、還暦はあまり意識せず通り過ぎたように思います。覚えているのは兄弟からお祝いの金一封を貰ったことですが、何に使ったかは記憶がありません。定年延長で現役中に還暦を迎えるようになると、還暦は益々影が薄くなりそうです。

レスポンシブサイト

今年の四月からスマホを使い始めました。スマホで我がホームページを覗くと、制作者の意図とは一寸違った見え方ですが何とか見ることが出来ます。Wordpressを使っているのでディスプレイサイズに対応してフレキシブルに表示が変わります。

ディスプレイの幅が狭いので、テキスト部分は行数が増え、画像はディスプレイの幅に合わせて縮小されて表示されます。見難いですが一応情報は伝わるので我慢しています。ところが、最近、イメージマップを使ったページがうまく動作しないことに気がつきました。

スマホ画面(赤いエリアにリンクを設定)

イメージマップと言うのは「1つの画像の中に複数のリンク先を設定する」機能です。上の画像では、赤枠で示したエリア(アムステルダム、ロンドン、スイス、ユングフラウ、モンブラン)にリンクが貼られています。これをクリックすると当該ページにジャンプします。

イメージマップの座標はオリジナルの画像サイズで作成されるので、画像が縮小されると位置がズレてしまいます。そのため赤枠部分をクリックしても反応しません。昔の職場の I 氏がiPadではうまく見えないと言っていたのはこのことが原因だったかもしれません。

この現象は、我がホームページが WordPress を使ったレスポンシブサイトであることが原因です。対処方法をネットで調べたところ、幾つか載っていました。多少の違いがありますが、どれも行き着く先は一緒で JQuery のプラグインを使っています。

早速、必要なファイルをダウンロードしてサーバーにアップ。前述のサイトに載せられていた実装例を参考に Script を記述して試してみましたが、期待したようには動作しません。暫くWordpress から離れていたので実装方法にミスがあるのかもしれません。

Web 上を彷徨っていたら「Responsive Image Maps」と言うWordpress 用のプラグインがありました。管理画面には「お使いのバージョンの WordPress ではテストされていません」と表示されますが、それには目を瞑ってインストールしてみました。

縮小された画像ではイメージマップ(上の画像の赤枠部分)はよく見えませんが、ピンチアウトして少し拡大すれば何とか見えます。画像の表示サイズが変わっても、プラグインのお陰で座標が再計算されてズレが無くなっています。ヤレヤレ成功です。

カバン考

散歩は手ブラが一番と思っていますが、隠居の散歩には、鼻水に備えてティッシュ、俄雨に備えて折りたたみ傘、と言った形で荷物が増えます。そこで何年か前に散歩用の小さなショルダーバッグ(兼ベルトポーチ)を入手しました。

傘以外は大した容量ではありませんが、薄着になる季節はどうしてもポケットに収容しきれません。更に、この4月からはスマホが荷物の仲間入りをしたので、これまでの超小型のバッグでは間に合わなくなりました。

暫くは不自由を我慢していたのですが、漸く決心、ネットや店頭を見て回った結果、同一銘柄の一回り大きいバッグを購入しました。写真で見るとあまり変わりないようですが、重さが5割増え、収容力は倍増しました。

ショルダーバッグの買増

隠居の散歩用ショルダーバッグの序でに、これまで使ったカバンについて考えてみました。記憶に残っているのは、学生時代の数少ないカバンと今もクローゼットに居座るサラリーマン時代後半のカバンです。サラリーマン時代の前半のカバンは大半はあまり特徴が無く残念ながら思い出せません。

◆学生時代のカバン
人生最初のカバンは小学校時代のランドセルです。入学が昭和22年だったのであらゆる物資が欠乏しており粗末な帆布製のランドセルでした。
生地は米軍払い下げと思われるアーミーグリーンの厚手のキャンバス地で、クラスの大半が同じランドセルでした。

年に2~3度しか使わないリュックサックも似たような素材で、コストを抑えるためか、飾りやポケットなどが最小限の冴えない造りでした。6年生くらいになると生意気になって、上記ランドセルは使わず、代わりに風呂敷を使っていたような記憶があります。

中学に入ると、斜めがけのショルダーバッグを使いました。白いキャンバス地を使ったもので、殆どの男子生徒がショルダーバッグでしたが、ズックの手提げカバンも2~3人いました。女生徒はどうだったか記憶が曖昧ですが、男子とは逆に大半が手提げカバンだったような気がします。

中学時代のショルダー(写真はアマゾンサイトから借用)

高校に入った時、革の学生カバンを買って貰いました。もはや戦後ではないと言われ出して、家計の苦しい我が家でも革のカバンが買えたようです。大学時代の前半も高校時代の手提げカバンを使いましたが、後半はあまり授業に出なかったので、通学は手ぶらか風呂敷だったような気がします。

高校~大学の学生カバン(写真はネットから借用)

◆サラリーマン時代
サラリーマンになり立ての頃は自分のカバンを持っていませんでした。初めての遠地出張の時、同行する先輩が「ファイルは俺が持って行くから」と言う言葉に甘え、夜行日帰りで着替えも不要だったのでカバンを持たず手ぶらで出掛けました。

先輩に「お前、手ぶらか!」と呆れられた思い出があります。この時、空っぽのカバンでもいいから格好づけに持って行くことがサラリーマンの心得と悟りました。それ以降、出張の際は親父のカバンを借りることにしました。

一応サラリーマンなのでいつまでも借用と言うわけにも行かず、安物のボストンバッグやブリーフケースを手に入れたのですが、未だ好みが確立してなかったことや、安物だったこともあって気軽に買い換えていました。そのためどんなカバンだったか思い出せません。

30代の中頃にドイツへ長期出張した時、出張の支度金でサムソナイトのスーツケースを購入しました。30Kgタイプで当時としては最新の電子錠が付いていました。同時に下の写真のようなハードアタッシュケースも購入してドイツ滞在中の通勤用に使いました。こちらは日本のエース社製で人工皮革の安物です。

ドイツでの通勤用ハードアタッシュケース

ドイツから帰国する時、空港の売店で遭遇したのがオファーマンの革製品でした。気に入ったのですが、当時は未だカードを持っておらず、手元の現金では足りないのでパスしました。帰国後、10年くらい経って、漸くオファーマンの製品を手に入れました。(下図)

左からアタッシェケース、ブリーフケース、ボストンバッグ

バッグ三兄弟だけでなく、財布・名刺入れ・定期入れ等の小物類もオファーマンで揃えました。但し、全部がオファーマンとはゆかず、ゴールドファイル製品も何点か使っていました。3年前の投稿に登場する「キーケース」もゴールドファイル製でしたが、生産終了になっていて更新出来ず、ドイツのゴールドヘッド製に買い換えました。

50代中頃、シンガポール・マレーシアに頻繁に出張したので小型のキャリーバッグを購入しました。これも退職後は押し入れの肥やしでしたが、一度だけ入院時の身の回り品運搬と病室での貴重品保管に使って重宝しました。ただ、10数回の海外出張で酷使されたせいか押し入れで眠っている間にプラスチックの取っ手が劣化して壊れてしまい処分しました。

◆退職後
自慢のオファーマン三兄弟も出番が無くなってクローゼットの肥やしに身を窶しています。それでも右端のボストンバッグは年に2~3回の遠出の旅行の際、着替えを入れて持ち出しています。カメラバッグと着替えをキャリーバッグにまとめた方が楽ですが、ズルズルと使い続けています。

オファーマン三兄弟のアタッシェケースとブリーフケースは、数年前にマンションを買い換える時、契約書や権利書を入れて持ち運ぶのに使いましたが、出番はその時だけでその後はクローゼットでホコリを被っています。この先出番は無さそうなので廃却してもよいのですが、愛着があって捨てられません。

クローゼットの肥やしと言えば、退職後に写真を始めた為に入手したデジタル一眼用のカメラバッグがあります。カメラの機種の変遷にあわせて、バッグもAPS-Cサイズ用、1型ミラーレス用、フルサイズ用、と3点ありますが、今はAPS-Cサイズを使っています。

以上

確定申告

今年も確定申告の時期になりました。e-Taxに必要な電子証明の有効期限が1月5日に切れていたので、再申請のため区役所に出掛けたのですが、窓口で住基カードの有効期限も過ぎていることを指摘されました。年のせいか、カードの方はスッカリ忘れていました。住基カードの新規発行手続きからやり直しです。住基カードは顔写真付きの方を申請したので、後日、写真を持参して申請し直しです。

ところが写真を添付しての申請でも、別途顔写真付き証明書が必要です。小生は車に乗らないので免許証は持たず、前回使ったパスポートは既に期限切れになっていて、窓口では本人確認が出来ないため、区役所からの書類が郵送されるのを待って、再度窓口を訪れて手続きをしなければなりません。短期間に3度も区役所詣ですることになりました。そのため、今年のe-Tax申告は例年より一週間ほど遅くなってしまいました。

PC自作派の小生は、年に一度はPCを改造したり、OSの再インストールしたりするので、折角準備したe-Tax向け環境も毎年のように再構築しています。今年もICカードリーダーのメーカーや国税庁のサイトから必要ソフトをダウンロードしてe-Tax環境を整える必要がありました。事前準備にてんてこ舞いしましたが、e-Taxシステムは年々改良されていて、申告書作成作業はアッと言う間に終わりました。